穂高神社と安曇野102 安曇族(海人族)40 ヲワケ臣
2016.10.14 穂高神社と安曇野102 安曇族(海人族)40 ヲワケ臣 『記紀』の記した紀元前660年からの歴代天皇にはウソや架空の人物が多く、初代・崇神天皇以前の天皇は全部架空ですし、4世紀末の崇神天皇を紀元前の天皇に仕立てたため、崇神天皇以降にも多くの架空の天皇が創られているのです。 ここまでの推理と検証から、実在した天皇は 4世紀末~421...
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2016.10.15 穂高神社と安曇野103 安曇族(海人族)41 善徳女王 昨日テレビをつけたら、たまたまドラマの「善徳女王」の百済が新羅に攻めてきたという場面で、「百済はプヨチャンが自ら出陣してきている」というセリフが聞こえ、「扶余璋」と字幕が出ていました。...
View Article穂高神社と安曇野105 安曇族(海人族)43 宗我神社
2016.10.18 穂高神社と安曇野105 安曇族(海人族)43 宗我神社 それでは、相模の支配者となって前鳥神社にウジノワキノイラツコを「氏の上(氏神)」として祀ったのは誰だったのしょうか? 2009年に前鳥神社に行った時にはまだ知らなかったのですが、相模には「曽我」の地名と宗我神社があって、その祭神は宗我都比古之命 ( そがつひこのみこと )宗我都比女之命 ( そがつひめのみこと...
View Article穂高神社と安曇野107 安曇族(海人族)45 曽我兄弟
2016.10.20 穂高神社と安曇野107 安曇族(海人族)45 曽我兄弟 物見塚古墳があるのは、「曽我兄弟の墓で有名な城前寺の裏手」だそうですが、ふと曽我兄弟って何で有名なんだっけ?とよく知らなかったことに気が付いて調べてみました(^_^.)。...
View Article穂高神社と安曇野108 安曇族(海人族)46 曽我兄弟の仇討と姓
2016.10.21 穂高神社と安曇野108 安曇族(海人族)46 曽我兄弟の仇討と姓 昨日の曽我兄弟の仇討の...
View Article穂高神社と安曇野109 安曇族(海人族)47 雄略天皇の朝倉宮
2016.10.22 穂高神社と安曇野109 安曇族(海人族)47 雄略天皇の朝倉宮 しばらく前に新聞で「桜井市脇本にある脇本遺跡で5世紀後半のものと推定される掘立柱穴が発見され、雄略天皇の朝倉宮の有力な候補地とされている」という記事を見て、脇本ってどこなのだろう?と地図で探してみたことがありました。...
View Article穂高神社と安曇野110 安曇族(海人族)48 脇本遺跡
2016.10.24 穂高神社と安曇野110 安曇族(海人族)48 脇本遺跡 改めて脇本遺跡について調べてみたところ、2012年9月に脇本遺跡の現地見学会と説明会があったという記事が見つかりました(^o^)。では、私が新聞で脇本遺蹟の記事を見たのは4年前の2012年だったようですね。http://koza5555.exblog.jp/16810552/...
View Article穂高神社と安曇野111 安曇族(海人族)49 磯城嶋金刺宮
2016.10.25 穂高神社と安曇野111 安曇族(海人族)49 磯城嶋金刺宮 桜井市立埋蔵文化センターには脇本遺跡の資料はありませんでしたが、欽明天皇の磯城宮の資料はあるのではないかと出版物を探してみても見つからなかったので<(_...
View Article穂高神社と安曇野112 安曇族(海人族)50 磯城嶋金刺宮2 城島小学校
2016.10.26 穂高神社と安曇野112 安曇族(海人族)50 磯城嶋金刺宮2 城島小学校 資料には磯城嶋公園内に「金刺宮址」の石碑があると記されているのですが、公園とその碑がどこにあったのかは分かりませんでした<(_...
View Article穂高神社と安曇野113 安曇族(海人族)51 磯城嶋金刺宮3
2016.10.27 穂高神社と安曇野113 安曇族(海人族)51 磯城嶋金刺宮3 資料によれば城島小学校では、平成3年に改築のための事前調査で、7世紀前半から中頃の5棟の大きな掘立柱建物跡とこれに付随する柵列遺構が発見されているのだそうですが、この「○世紀頃」というのはどのくらい正確なものなのでしょう?...
View Article穂高神社と安曇野114 安曇族(海人族)52 敏達天皇
2016.10.28 穂高神社と安曇野114 安曇族(海人族)52 敏達天皇 桜井市戒重の敏達天皇の訳語田幸玉宮があったとされている春日神社へも行ってみたのですが、やはり私にはそこが天皇の宮があった場所だとは思えませんでした。宮址だと思えるような雰囲気も学校や公共施設のような空間もありませんでしたし<(_ _)>。...
View Article穂高神社と安曇野117 安曇族(海人族)55 干支と西暦2
2016.10.31 穂高神社と安曇野117 安曇族(海人族)55 干支と西暦2 『日本書紀』は、継体天皇が亡くなったのは庚寅(こういん)年(534)だと記していますが、注として【『百済本紀』には「辛亥の年に日本の天皇と太子・皇子が皆亡くなったと記されている」】と記しているそうです。なぜわざわざ『日本書紀』の記事を否定するような注を入れたのでしょうね?...
View Article穂高神社と安曇野118 安曇族(海人族)56 釈迦三尊像のモデル?
2016.11.1 穂高神社と安曇野118 安曇族(海人族)56 釈迦三尊像のモデル? 10.23の新聞には、去年法隆寺に行った時には薄暗いし、遠くからなのではっきりとは見えなかった釈迦三尊像の頭部の写真も載っていたのですが、それを見て私は「この人、見たことがある」と思いました。「この仏像」ではなく、「この人」と思ったのです(^_^.)。...
View Article埼玉の海のサメの歯
2016.11.3 埼玉の海のサメの歯 先日の新聞に東松山市の「化石と自然の体験館」の記事が載っていて、そこではサメやカルカロドン・メガロドンやパレオパラドキシアやデスモスチルスの歯などが見つかることが分かりました(^o^)。...
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