穂高神社と安曇野84 安曇族(海人族)22 聖徳太子
2016.9.21 穂高神社と安曇野84 安曇族(海人族)22 聖徳太子 日本史には「推古○○年」として歴史が記されているのに推古天皇がいなかったはずがないではないか、ここに書いてあることは「でたらめもでたらめ!!」だというのが『記紀』を信奉する学者さんたちや、圧倒的多数のその学者さんたちの「説」を信奉する方々の見方なのでしょうね(^_-)。...
View Article穂高神社と安曇野86 安曇族(海人族)24 鬼前太后
2016.9.23 穂高神社と安曇野86 安曇族(海人族)24 鬼前太后 現在の飛鳥寺は、かつての金堂一つ分にも満たない小さな寺院ですが、当時の飛鳥寺の建立は、百済の威徳王から送られてきた工人や仏師や露盤博士たちによって日本で初めての本格的な寺院を大王の都である飛鳥に造るという大事業だったのです。 現在の飛鳥寺 建立当時の飛鳥寺の伽藍復元図...
View Article穂高神社と安曇野87 安曇族(海人族)25 穴穂部間人皇女
2016.9.24 穂高神社と安曇野87 安曇族(海人族)25 穴穂部間人皇女 架空の聖徳太子の生母とされている穴穂部間人皇女が実在した用明天皇の皇后でアメノタリシヒコの生母の鬼前太后だったのかどうか、穴穂部間人皇女について調べてみました。 穴穂部間人皇女は、 ・欽明天皇の第三皇女 ・埿部(はつかしべ)穴穂部皇女・穴太部間人王・孔部間人公王 ・間人穴太部王などとも記され、法隆寺金堂釈迦三尊像の銘文...
View Article穂高神社と安曇野88 安曇族(海人族)26 皇后の再婚
2016.9.26 穂高神社と安曇野88 安曇族(海人族)26 皇后の再婚 私は抄訳の『古事記』の現代語版しか読んだことがないのですが、その乏しい経験の中だけでも似たような不自然なオハナシが何度も出て来てくるのでなんだかおかしいと感じていました(^o^)。http://blogs.yahoo.co.jp/sweetbasil2007/archive/2016/9/1...
View Article穂高神社と安曇野89 安曇族(海人族)27 近親婚
2016.9.27 穂高神社と安曇野89 安曇族(海人族)27 近親婚 学者さんたちは、本当に天皇家では『記紀』に記されているような近親婚が繰り返されてきたのだと信じているのだろうか?と疑問に思ったのですが、『記紀』を信奉しているということは、そこに記されていることを全部信じているということなのでしょうね。そうでなければ大真面目でつじつま合わせなどしないでしょうから(^_^.)。...
View Article穂高神社と安曇野90 安曇族(海人族)28 間人皇女は百済の王女?
2016.9.28 穂高神社と安曇野90 安曇族(海人族)28 間人皇女は百済の王女? 間人皇女の別名の中に「孔部間人公王」がありましたが、「公王」って何なのでしょう?http://blogs.yahoo.co.jp/sweetbasil2007/42986004.html...
View Article穂高神社と安曇野91 安曇族(海人族)29 間人皇女は海人族?
2016.9.29 穂高神社と安曇野91 安曇族(海人族)29 間人皇女は海人族? 用明天皇の皇后だった間人皇女は、聖徳太子(=アメノタリシヒコ=馬子)と来目皇子の母だとも記されていますが、もしそれが事実なのであれば、アメノタリシヒコと来目皇子は同腹の兄弟だったということになりますから、この人は百済の王族ではなく海人族の久米氏の出身だったのかもしれません。...
View Article穂高神社と安曇野93 安曇族(海人族)31
2016.10.1 穂高神社と安曇野93 安曇族(海人族)31 記録を見ると、余昆は462年に百済から北九州に渡来し、464年にはもう王位に就いていて、「倭王・武」として中国に朝貢使を送っているのですが、このことに私は少し違和感がありました。...
View Article穂高神社と安曇野96 安曇族(海人族)34 歴史の教科書は変った?2
2016.10.5 穂高神社と安曇野96 安曇族(海人族)34 歴史の教科書は変った?2 考古学的な所見は納得できるのに、なぜそれが歴史には反映されず、歴史は納得できないもののままなのだろう?と疑問に思って歴史学と考古学について調べてみたことがありました(^_^.)。http://blogs.yahoo.co.jp/sweetbasil2007/42243838.html...
View Article穂高神社と安曇野99 安曇族(海人族)37 ワカタケル王
2016.10.8 穂高神社と安曇野99 安曇族(海人族)37 ワカタケル王 歴史は因果関係であって、論理的にその因果を辿っていけば矛盾なく繋がっていくはずなのですが、学者さんたちが『記紀』のウソや作り話を信じて、そのつじつまを合わせるためだけの非論理的な解釈してきたために矛盾だらけで訳の分からないものになってしまっているのです<(_ _)>。...
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2016.10.9 コメントへのお返事 >古墳は宮内庁が天皇陵として囲い込んでいて一切調査はされていない <宮内庁が、最も「正規の歴史」をご存知なのかも_そして、<宮内庁が、「歴史の捏造=天皇の捏造」常套をご存知なのかも_それは<宮内庁が、未来をも捏造して行く_といぅ意志の顕われなのかも_ すると【宮内庁が軍部】であり【日本会議】でしょぅか、、、ー―・-―・-―・-―・-―・-―...
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2016.10.10 コメントへのお返事2 2008年日本書記と聖徳太子の捏造は証された筈ですのに_ね。――・――・――・――・―― 2008年には「日本書記と聖徳太子は捏造である」ことが証されるような、なにか画期的な出来事があったのでしょうか?...
View Article穂高神社と安曇野100 安曇族(海人族)38 ワカタケル王2
2016.10.12 穂高神社と安曇野100 安曇族(海人族)38 ワカタケル王2 10.8のワカタケル王の続きに戻ります。http://blogs.yahoo.co.jp/sweetbasil2007/43004891.html ワカタケル大王 辛亥年稲荷山古墳前方部から後円部を見たところ...
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