2016.10.7 穂高神社と安曇野98 安曇族(海人族)36 日本史の教科書は変った?4
「ここまで変わった日本史教科書」の広告には、「早まる弥生時代のはじまり」、「聖徳太子はいたのか」などの文言が並んでいましたが、論理的に考えれば「聖徳太子」は架空の人物であることが分かりますし、科学が解き明かしてきた事実を見れば、人類は天のカミサマが作ったのでも天から降臨してきたカミサマがニンゲンになったのでもなく、アフリカで発生したホモ・サピエンスが地球全体に拡散していったのであり、アジアに到達した人類から弥生人が分岐したのは約3300年前で、移動を開始したのが2800年前頃だったということがすでに分かっているのです。
けれど、そのような科学的に解明され、証明されている事実であっても、その事実を「芸術と人文」に属する歴史学者さんたちが認めて、日本史の教科書が「文学的な解釈の歴史」や「芸術的なつじつま合わせの歴史」から「科学的事実に基づいた論理的な歴史」に訂正されるまでにはこれからまだまだ長い長い時間がかかるのでしょうね<(_ _)>。
聖徳太子の肖像は教科書から削除されたようですが、今、聖徳太子まで削除してしまうと、それでは「十七条の憲法」や「冠位十二階」を作り、隋に国書を送ったのは誰なのか?ということになりますが、聖徳太子や推古天皇の実在を信じてつじつま合わせをしてきた歴史学者さんたちはその答えを持っていないわけですし、もし聖徳太子や推古天皇が架空の人物であることを認めてしまうと、これまで積み上げてきたつじつま合わせの「説」は全て崩壊してしまうわけですから。
そういえば、GHQが神功皇后を教科書から削除してしまったことを知って、それではその間の天皇はどうなっているのだろう?と「歴代天皇」を調べてみたら、200年に14代仲哀天皇が亡くなった後、神功皇后が在位していたことになっている200~270年は空白になっていて、それまで16代天皇だった応神天皇が270年からの15代天皇になっていました。
天皇の系譜の200~270年の間は、天皇がいなかったことになってしまっているのですが、「万世一系」を信じているはずの歴史学者さんたちは、誰もその空白を埋める文学的かつ芸術的なつじつま合わせをしなかったようです(^o^)。
私は、歴史学は「人文科学」なのだから科学なのだと思っていたのですが、それは誤解だったようで、人文とはもともとhumanitiesの訳語でscienceという言葉は含まれていなかったのだそうです<(_ _)>。
Wikipediaによれば、「人文科学における、研究方法の一つの主要な柱は文献学的方法であり、解釈の論理的整合性だけが研究者の主張に妥当性をあたえる」のだそうです。でも、今「妥当性を与えられている」学者さんたちの解釈や学説は、私には論理的整合性があるとは思えず納得できなかったのですけれどね~<(_ _)>。
歴史学はもともとscienceではないのだから科学的な事実などは一切無視した史実に基づかない物語でもいいのだということにはならないと私は思うのですが、すでに妥当性を与えられ権威ある肩書きも与えられているのに、その解釈に納得しないのは納得しない方が悪いということでしょうか?
でも、現在の学問は「人文科学・社会科学・自然科学に三分されている」そうですし、人類学や考古学はすでに科学の方に入っているのですから、非論理的な文献の解釈を専門とするhumanitiesの日本史もだんだん科学的知識を取り入れたhuman scienceに移行していかざるを得ないのではないかと私は思います。