穂高神社と安曇野65 安曇族(海人族)3
2016.8.31 穂高神社と安曇野65 安曇族(海人族)3 『穂高神社と安曇族』によれば、海人族の安曇氏や宗像氏の先祖は、273年頃にはもう海人を統率する宰(みこともち)として天津族(神武天皇)が大宰府に開いた王朝の内部に入っていたようですが、『日本書紀』には、「17代履中天皇元年(401年)に安曇連浜子が住吉仲皇子の反乱に加担して罰せられ、眼の縁に入れ墨をされた」と記されているのだそうです。...
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2016.9.1 穂高神社と安曇野66 安曇族4 仁徳天皇は架空の天皇なのだから、それなら反乱を起こしたというその息子の住吉仲皇子も架空の人物で、その反乱のオハナシも作り話なのではないか?と考えて住吉仲皇子を調べてみたところ、この反乱の理由は「兄の履中天皇がお后にしようとした黒媛を弟の住吉仲皇子が横取りしたため」というウソくさいオハナシになっていました(^o^)。...
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2016.9.5 穂高神社と安曇野70 安曇族(海人族)8 三輪山の大神神社の祭神は、表向きは「大物主神」とされているのですが、本や資料には全て「大神神社には本殿がなく御神体である三輪山を祀っている」と記されていますから、この神社の神職さんたちが祀っているのは「大物主神」ではなく三輪山のようです(^o^)。...
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2016.9.7 穂高神社と安曇野72 安曇族(海人族)10 熊野三山のそれまで他では聞いたこともなかった「家津御子(けつみこ)大神・夫須美(ふすみ)大神・御子速玉大神」や紀州一の宮の「日前(ひのくま)大神・国懸(くにかかす)大神」っていったいどんなカミサマなのだろう?...
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2016.9.8 穂高神社と安曇野73 安曇族(海人族)11 『日本書紀』が記した「神武天皇の妻問いの使者に立った安曇目の大久米命」とは、実際は崇神天皇の時代に反乱に加担して眼の縁に入れ墨をされたという安曇連浜子なのではないか?と考えていて、『古事記』の「神武の東征」に久米歌が記されていたことを思い出しました(^o^)。...
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2016.9.11 ヒガンバナと三足烏 今朝、庭の白いヒガンバナが咲き始めたと思ったら、新聞に巾着田のヒガンバナの記事が載っていて、そこに今年が高麗郷が置かれてから1300年であることも記されていました。そういえば、去年高麗神社に行った時に社殿が真新しくなっていたのでビックリしたのですが、1300年記念に合わせて造り替えたのですね(^o^)。 2010年の社殿 2015年の社殿...
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2016.9.12 穂高神社と安曇野76 安曇族(海人族)14 久米御県神社 現在の久米町は畝傍山の南の狭い範囲のようですが、これは東征(国盗り)という大事業で手柄を立てた大久米命が論功行賞として賜った土地としては小さすぎるのではないでしょうか(^o^)。...
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2016.9.13 穂高神社と安曇野77 安曇族(海人族)15 牟佐坐(むさにいます)神社 私が去年「孝元天皇の軽の境宮の伝承地」の碑のある岡寺の駅前に行ったのは、「牟佐坐(むさにいます)神社に行こうとしていたためで、当時の私はこの辺りが「軽の境部」であることも、「架空の孝元天皇」のゆかりの地になっていたことも、もっと言えば岡寺駅があるのは橿原市だということも知りませんでした<(_...
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2016.9.14 穂高神社と安曇野78 安曇族(海人族)16 飛鳥坐(あすかにいます)神社2 飛鳥坐(あすかにいます)神社の由緒には ・祭神の事代主は大国主の第一子であったこと・初代の神主は太比古命で、崇神天皇から「大神臣飛鳥直(おおみわのあそんあすかのあたい)」の氏姓を与えられたこと・初代は事代主の7世の孫であったこと・現在の宮司は87代目であること...
View Article穂高神社と安曇野79 安曇族(海人族)17 牟佐坐(むさにいます)神社
2016.9.15 穂高神社と安曇野79 安曇族(海人族)17 牟佐坐(むさにいます)神社 去年の春、飛鳥坐神社と牟佐坐神社の前で由緒を読んでいた時にはさっぱり意味が分からなかったのですが<(_ _)>、今になってやっと歴史として読み解けるようになってきました\(^o^)/。...
View Article穂高神社と安曇野80 安曇族(海人族)18 身狭村主青(むさのすぐりあお)
2016.9.16 穂高神社と安曇野80 安曇族(海人族)18 身狭村主青(むさのすぐりあお) 牟佐坐神社には祀られていたのは誰なのかを知るために行ってみたのですが、ここには何か分かりそうなものは柿本人麻呂の歌碑の他には↓の由緒しかなく、その内容は事前に調べたことと全く同じでした。牟佐坐神社についての記事を書いた方々はこれをそのままそっくり書いただけだったようです<(_ _)>。...
View Article穂高神社と安曇野81 安曇族(海人族)19 身狭村主青(むさのすぐりあお)2
2016.9.17 穂高神社と安曇野81 安曇族(海人族)19 身狭村主青(むさのすぐりあお)2 『新撰姓字録』が「呉の孫権の子孫」だと記したこの「身狭村主青」とは、雄略期に三国時代の呉から渡来してきた孫権の子孫ではなく、紀元前に春秋戦国時代の呉から渡来していた海人族の久米氏の一族だったのではないでしょうか(^o^)?...
View Article穂高神社と安曇野82 安曇族(海人族)20 雄略天皇
2016.9.19 穂高神社と安曇野82 安曇族(海人族)20 雄略天皇 8世紀初め頃(720年完成)に作られた『日本書紀』の「雄略紀」に「雄略天皇(456~479)はその治世の8年と12年に身狭村主青らを呉に遣わした」と記した人は、三国時代の呉が280年に滅びてしまっていたことを知らなかったのでしょうか(^o^)?...
View Article穂高神社と安曇野83 安曇族(海人族)21 アメノタリシヒコ
2016.9.20 穂高神社と安曇野83 安曇族(海人族)21 アメノタリシヒコ 502年の応神天皇の朝貢の後、分裂状態になっていた中国に朝貢使は送られていなかったようですが、その中国がおよそ300年ぶりに隋によって581年に再統一されると、アメノタリシヒコは「大王(おおきみ)」として600年に隋の文帝に使者を送っています。...
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