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穂高神社と安曇野82 安曇族(海人族)20 雄略天皇

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2016.9.19 穂高神社と安曇野82 安曇族(海人族)20 雄略天皇
 
8世紀初め頃(720年完成)に作られた『日本書紀』の「雄略紀」に「雄略天皇(456479)はその治世の8年と12年に身狭村主青らを呉に遣わした」と記した人は、三国時代の呉が280年に滅びてしまっていたことを知らなかったのでしょうか(^o^)
 
184年の黄巾の乱の蜂起から581年の隋による再統一まで中国は分裂し、戦乱が続いていたようですし、日本は日本で天津族が国内での征服戦争(東征)を始めたため忙しくて、266年の邪馬台国の壱与の西晋への朝貢の後、413年の崇神の東晋への朝貢までの147年間は朝貢使を送っていなかったのですから、その間に三国時代の呉が滅びてしまっていたことを本当に知らなかったのかもしれませんね(^_-)
 
この『日本書紀』が「456479年に在位した21代天皇(元は神功皇后が加わって22代天皇)であると記した雄略天皇」は、実際は「464506年に在位していた応神天皇」を、270310年に在位していたことにしたので空白になってしまった期間を埋めるために『日本書紀』が作り出した架空の人物ですから、『日本書紀』が記したこの天皇の外交や残虐な所業はすべて作り話なのですが、もし、「雄略紀」を書いた人が「呉は280年にすでに滅んでしまっていた」ということを知っていたなら、いくら作り話でもこんなバレバレのウソは書かなかったでしょうから(^o^)
 
『日本書紀』に、456年から506年までの50年間に雄略(456479)・清寧(480484)・顕宋(485487)・仁賢(488498)・武烈(498506)の5人の天皇がいたと記されているために、『記紀』を信奉するアカデミックな学者さんたちは478479502年に朝貢使を送ったことが中国の記録に残っている「倭王・武」がどの天皇なのかが分からなくて「謎」になってしまっているようです(^o^)
 
478479年に朝貢使を送った「倭王・武」を雄略とすれば、502年に朝貢使を送ったのは「倭王・武」ではなくなってしまいますし、「倭王・武」を武烈だとすれば478479年に朝貢使を送れたはずはなくなってしまいますから(^_-)
 
学者さんたちがどうやってもつじつまを合わせることができないのは、『日本書紀』がウソを書いているからであって、雄略~武烈の5人の天皇は『日本書紀』が創った架空の人物で、その間(464506年)の実際の大王は応神天皇であり、478479502年に中国に朝貢した「倭王・武」とは応神天皇のことなのです。
 
このことについては「古代の地形から『記紀』の謎を解く」の第6章の「謎の倭の五王を推理する」と、巻末の「古代の中国・朝鮮半島と倭国の関係」の年表をご参照ください。
 
そもそも日本に紀元前から天皇がいたということからしてウソであって、5~6世紀までの日本にいたのは、中国に外臣と認められれば皇帝から任命される「倭王」だったのです(^_-)
 
『記紀』は7~8世紀の人達がその当時の知識や常識で創ったオハナシなので、おかしなところがたくさんあるのですよね。紀元前から「天皇」がいたということや3世紀に滅んだ国に5世紀の天皇が使者を送ったなどという記述もそうですが、当時は使われていたはずのない言葉が使われていたり、5~6世紀の聖徳太子の肖像画が8世紀の服装で描かれていたり・・・などなど。

聖徳太子の肖像
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書かれていることが現実と合わないのであれば「書いてあることがウソなのではないか」と私は考えたのですが、アカデミックな学者さんたちは「文献に合わない現実のほうが間違っているのだ」とお考えになるようです(^o^)。その頑迷な思い込みを捨てて見方を変えれば謎はなくなるのですが、「見方が変わって新しい現実が誕生する」のにはあとどれくらいかかるのでしょうね(^_-)
 
 
ところで、昨日国技館でロビーに↓のような絵が展示してあったのを「カミサマなのにタケミカヅチもタケミナカタも目付きが悪いな~」とか「タケミカヅチは剣を抜いて逆さに立て、その前に胡坐をかいて座ったはずなのに座り方が違うのでは?」などと思いながら眺めているうちに、
 
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ふと「なぜこの絵が国技館にあるのだろう?」と疑問が湧いてきたので説明文を読んでみました。和文では「力比べ」となっていましたが、英文では「origin of sumo」と記されていました。あれ?相撲の始まりは野見宿禰じゃなかったっけ?


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そこで確かめてみたら、野見宿禰も当麻蹴速も「相撲の開祖」となっていました。タケミカヅチとタケミナカタが相撲で「国譲り」を決したというのはもちろんウソですが、相撲自体は野見宿禰と当麻蹴速の対戦より前からあったわけですね。


野見宿禰五輪塔
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当麻蹴速五輪塔
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