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穂高神社と安曇野77 安曇族(海人族)15 牟佐坐(むさにいます)神社

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2016.9.13 穂高神社と安曇野77 安曇族(海人族)15 牟佐坐(むさにいます)神社

 

私が去年「孝元天皇の軽の境宮の伝承地」の碑のある岡寺の駅前に行ったのは、「牟佐坐(むさにいます)神社に行こうとしていたためで、当時の私はこの辺りが「軽の境部」であることも、「架空の孝元天皇」のゆかりの地になっていたことも、もっと言えば岡寺駅があるのは橿原市だということも知りませんでした<(_ _)>

 

たまたまこの神社があったのが岡寺駅の前だったのでこの碑の存在を知り、今そのことを思い出してその辺りが「軽の境部」だったらしいと分かったわけですが、岡寺駅は明日香ではなく、岡寺からは遠い橿原市にあったことはこれを書いていて初めて知ったのです(^o^)。どおりで、駅を見て「あれ?岡寺ってこのあたりにあったんだっけ?」と地図で岡寺駅の周辺を探してみても岡寺が見つからなかったはずです(-_-)

 

私は方向感が悪くて地理音痴の上、時間を節約するためレンタカーを使ったので(運転したのはもちろん私ではありません)、岡寺と岡寺駅の位置関係が全く分かっていなかったのです<(_ _)>

 

なぜ「牟佐坐神社」に行ったのかというと、これまで「甘樫坐神社」「飛鳥坐神社」のような「○○にいます神社」というのは、「そこにいた=その地を支配していた」ということで、その地の支配者の祖廟として創られた神社なのではないかと考えていたので、全長318mもある巨大な見瀬丸山古墳の近くにこの神社があることを知って、「牟佐にいた=支配していた」のは誰だったのかを知りたいと思ったからなのです(^o^)

 

飛鳥坐(あすかにいます)神社

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祭神は「八重事代主神・大物主神」となっていますが、これは同じ人で、どちらもアジスキタカヒコネ(鴨大神=ヤタガラス)のことですね。初代の宮司さんは、事代主の7世の孫だったそうで、現在の宮司さんは87代目だと記されています。やはり神社は子孫が先祖を祀る祖廟だったのです。

 

余談ですが、折口信夫博士は、ここの81代宮司さんの6男の孫だと記されていますから、折口信夫博士は事代主、ひいては大国主・トミノナガスネヒコの子孫だったようです(^o^)

 
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甘樫坐(あまかしにいます)神社 

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この神社の祭神が現在の「推古天皇」になったのは江戸時代以降のことで、古くは「甘樫神」だったそうです。この神社は用明天皇(=蘇我稲目)の宮のあった向原にありましたから、元の祭神は「向原宮」の主だった用明天皇か、その父の欽明天皇か、その祖の応神天皇だったのかもしれません。

 

そこで「牟佐坐神社」の祭神について調べてみたのですが、見つかったのは、現在の祭神は「高皇産霊尊・孝元天皇」だけれど安康天皇の時代には「生雷神」だったとか、江戸時代には菅原道真を祭神にしていただとか、明治になってから高皇産霊尊を祭神にしただとか、この境内は(紀元前の架空の)孝元天皇が即位した宮地だったというような訳の分からないものばかりだったので<(_ _)>、この神社に祀られているのは誰なのか、なぜそんな訳の分からないことになってしまっているのかを実際に行って自分で確かめてみようと思ったのです(^o^)

 

牟佐坐神社

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