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穂高神社と安曇野74 安曇族(海人族)12

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2016.9.9 穂高神社と安曇野74 安曇族(海人族)12

 

久米寺の創建は『和州久米寺流記』では聖徳太子の弟の来目皇子(くめのみこ)、『扶桑略記』『七大寺巡礼私記』『今昔物語集』では久米仙人となっているそうで、はっきりしたことは分からないようですが、「仙術で空を飛べるようになった久米仙人」が実在したとは思えませんから、久米仙人はフィクションでしょう。もし実在したとしても、仙人がお寺を造れるようなお金持ちだったはずはありませんよね(^_-)

 

それでは創建したのは「聖徳太子の弟の来目皇子」なのか?というとそれも事実かどうかは分かりません<(_ _)>。聖徳太子はこの間の本当の大王(天皇)だった「アメノタリシヒコ・倉麻呂・石川麻呂」を大臣の「蘇我馬子・蝦夷・入鹿」として隠すために作り出された架空の人物ですから、「聖徳太子の弟の来目皇子」という人が実在したはずはありませんし。

 

けれど、『日本書紀』では「用明天皇の息子の聖徳太子」・「蘇我稲目の息子の馬子」として隠された用明天皇(=蘇我稲目)の本当の息子のアメノタリシヒコ(馬子)には弟がいたようですから、そのアメノタリシヒコの弟を「聖徳太子の弟の来目皇子」として記したのかもしれません。

 

用明天皇が亡くなった後の天皇とされている「敏達天皇―崇峻天皇―推古天皇」は、この時代の本当の天皇(大王)だった「アメノタリシヒコ(=聖徳太子=蘇我馬子)―蘇我倉麻呂(=蝦夷)―蘇我石川麻呂(=入鹿)」を隠すために作り出された架空の天皇なのです。

 

そしてそのことを隠すために、この部分には敏達天皇・崇峻天皇・推古天皇を始めとして、摂政の聖徳太子・その母の間人(はしひと)皇后・正妻の莵道貝蛸(うじのかいたこ)皇女(推古天皇の長女だそうです)・その他の妻として刀自古郎女(とじこのいらつめ)・橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)・膳部菩岐々美郎女(かしわでのほききのみのいらつめ)、聖徳太子の子として山背大兄皇子を始めとする14人子供たちなどの多くの架空の人物と、彼らにまつわるたくさんのストーリーが作られているのです。

 

それなら14人もいたという聖徳太子の子とその子孫たちはその後どうなったのかというと、そこは抜け目なく14人の子は全員自害してしまったので子孫はいないということにして帳尻を合わせてあるのです。

 

というわけで、「架空の聖徳太子の弟の来目皇子」は実在したはずはありませんが、実在の大王だったアメノタリシヒコには弟がいて、その弟が久米寺を創建した「来目皇子」という名前で記されている人物である可能性はあるようです(^o^)

 

聖徳太子と推古天皇が架空の人物であることについては「古代の地形から『記紀』の謎を解く」の第3章をご参照ください。2010年にはまだ敏達天皇が実在の天皇で、用明天皇は「聖徳太子の父」とするために創られた架空の天皇なのではないかと考えていたので、この本ではそのようになっているのですが<(_ _)>。用明天皇が実在で敏達天皇が架空の天皇だったことが分かったのは去年(20156月)のことだったのです。

 

宮内庁が「欽明天皇陵」だとしている梅山古墳

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

この古墳は、実際は「用明天皇陵」 であろうと思います。 

 

謎解きをしながら、『記紀』にはウソが多いようだと感じてはいたのですが、5年前には「正史」と教えられてきたものがまさかここまでウソばかりだとは思ってもみませんでした<(_ _)>

 

教科書の記述や学者さんたちのご高説を「そうなのか」と思いながら、それでもどうしても納得することができなかった点を自分が納得できるまできちんと詰めてみたら、芋蔓式に次から次へとウソであることが分かってきてしまったのです<(_ _)>そんなことを目的にしていたわけでも知りたかったわけでもなかったのですが・・・・・




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