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穂高神社と安曇野66 安曇族4

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2016.9.1 穂高神社と安曇野66 安曇族4

 

仁徳天皇は架空の天皇なのだから、それなら反乱を起こしたというその息子の住吉仲皇子も架空の人物で、その反乱のオハナシも作り話なのではないか?と考えて住吉仲皇子を調べてみたところ、この反乱の理由は「兄の履中天皇がお后にしようとした黒媛を弟の住吉仲皇子が横取りしたため」というウソくさいオハナシになっていました(^o^)

 

このパターンのオハナシは『古事記』ではあちこちで使い回されているのですよね。仁徳天皇が召し出そうとした女鳥王(めとりのみこ)を、迎えに行った弟の速総別王(はやぶさわけのみこ)が横取りしただとか、景行天皇が召し出そうとした美濃の兄比売・弟比売の二人の女性を、迎えに行った皇子の大確命(おおうすのみこと)が横取りしただとか・・・・・

 

私はそれらのパターン化したオハナシを、想像(創造)力の貧困か手抜きなのではないかと思ったのですが(^_-)、この手のオハナシは歴史家や小説家のロマン心をいたく刺激するようで、いろいろな解釈や物語が創られているようです。もともとが創作なのですからいかようにも解釈でき、命懸けの恋というようなロマンあふれる物語にも仕立てることができるということなのでしょう(^o^)


『古事記』については小説家もまるで小説のようだと感じていたようですが、それでも現実的な疑問を持ってしまう私とは違って、歴史家や小説家は現実よりもロマンのへの憧れの方が強いのでしょうね(^_-)

 

それはともかくとして、「住吉仲皇子の反乱」はパターン化されたウソくさいオハナシですし、反乱に加担するという一族や係累が全て殺されるのが当然なほどの重罪を犯したのに、安曇連浜子一人が眼の縁に入れ墨をされただけで許されたというのも不自然すぎますから、やはりこれは水増しして空白になってしまった部分を埋めるために創られた、架空のオハナシなのではないかと思ったのですが・・・・

 

たまたま以前まとめ買いしてあったうちの「司馬遼太郎歴史歓談1」の「なぜ、いま『日本の古代史』か」(1985年の『中央公論』に載ったものだそうです)を読んでいたら、「淡路島の明石に近い野島は天皇家の直轄領になっていて、そこには『野島の海人』がおり、今でもその辺りの漁師たちは魚を応神朝か仁徳朝の供御に供していたことをついこの間までそうしていたみたいに生き生きと話す」と記されていました(^o^)

 
イメージ 1

この野島の海人たちは天皇が伊予や九州に行ったりする時は船方を務めていたのだそうですが、なるほど、海人族は海の知識や操船技術に長けた人達だったのですし、天津族がまだ九州にいた頃から朝廷の中枢に入っていたのですから、天皇の乗る船を操っていたのは海人族だったのでしょう。すると白村江の戦いの時に船を率いて海を渡って行ったのは海人族だったのかもしれませんね。

 

それでは、『日本書紀』の記した「野島の漁師は海人族で、反乱に関わった罰として朝廷の屯倉(直轄領)で労働に服させられた」というオハナシは全くの作り話ではないようです。そうであれば「安曇連浜子が何らかの形で反乱に関わって罰せられ、眼の縁に入れ墨をされた」というのも事実で、この時代には、なにか「住吉仲皇子(天皇の弟)の反乱」として記されたような事件が実際にあったのではないでしょうか。

 

眼の周りの入れ墨は目立ちますから、その理由を記しておかなければならなかったでしょうし、「天皇の弟の反乱」ということはクーデターですから、史書としては本当のことを書くわけにはいかなくても、「クーデタ―未遂事件があった」ということは記しておかなければならなかったのでしょうしね

 

またも古代史ロマンをブチ壊してしまうことになってしまってまことに申し訳ないのですが、このオハナシもロマンとは程遠い権力闘争のオハナシだったようです<(_ _)>

  
 
 

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