2016.9.6 穂高神社と安曇野71 安曇族(海人族)9
垂仁天皇の外祖父となったアジスキタカヒコネは、「事代主」の名前で皇祖の一人として宮中に祀られていますし、鴨族の始祖の「鴨大神」としては葛城の高鴨神社や京都の上賀茂・下賀茂神社を始めとして全国の鴨(賀茂・加茂)神社に祀られていますが、「大物主」の名前で祀られているはずの大神(おおみわ)神社にはこの人を祀る社(本殿)が無いため、大神神社は「三輪山を祀っていると考えればよい」などという珍妙なつじつま合わせの「説」が作られたのではないでしょうか(^o^)。
崇神天皇が祟りを怖れ、大国主の子孫(名負いの氏)のオオタタネコを捜し出して大神神社に祀らせたと『古事記』が記したのは、天津族が自陣営に引き込んだ大物主(=アジスキタカヒコネ=事代主)でも三輪山でもなく、自分たちが滅ぼした「大国主」なのです。
大神神社の境内には、「家津御子(けつみこ)大神・熊野夫須美(ふすみ)大神・御子速玉大神」という奇妙な名前の神を祀る末社・神宝神社があるのですが、年に一度だけ三輪山山中の禁足地にある三つ鳥居が開かれるという大神神社の一番大切なお祭りである「繞道(にょうどう)祭=ご神火(しんか)祭り」で、最初にご神火が捧げられ、祭典が行われるのは、この神宝神社なのだそうですから、これが「大和国一の宮」の本殿であり、本当の祭神だということでしょう。
「家津御子(けつみこ)大神・熊野夫須美(ふすみ)大神・御子速玉大神」を祀る大神神社の末社・神宝神社
三つ鳥居というのは、祀られているカミサマが三人だからなのでしょうか(^o^)。
では、この奇妙な名前のカミサマはどんなカミサマなのかというと、紀州の熊野三山に祀られているカミサマたちであり、ここまでの推理の結果、「夫須美(ふすみ)大神」とは、天津族と息子の事代主に滅ぼされ、最後(結び)の大国主となったトミノナガスネヒコ、「御子速玉大神と」は、この時一緒に殺された後継者になるはずだった息子(アジスキタカヒコネの異母兄弟)、「家津御子(けつみこ)大神」とはその祖で、天津族の東征によって子孫を殺され、「欠御子」となったスサノオノミコトのことであることが分かりました。
この国を奪われ殺された最後の大国主は、紀州一の宮では国懸(くにかかす=国欠かす)大神として祀られています。
紀州一の宮・国懸神宮
この推理は「古代の地形から『記紀』の謎を解く」の第10章の「熊野神社」をご参照ください。