Quantcast
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1389

穂高神社と安曇野68 安曇族(海人族)6

2016.9.3 穂高神社と安曇野68 安曇族(海人族)6

 

江戸時代初頭までは「天孫が降臨した場所」だと考えられていたという「高天原」は、大国主の息子のアジスキタカヒコネとその妹を祀る葛城の高鴨神社のすぐ近くのヤマト盆地を一望する場所にあり、ここでアジスキタカヒコネは崇神の伯父オオヒコノミコトの娘のタマヨリヒメ(セヤダタラヒメ)を妻にし、妹は天津族の天稚彦(天若日子)を夫にしていたのです。

 

高天原と高鴨神社の位置関係

Image may be NSFW.
Clik here to view.
イメージ 1

 
Image may be NSFW.
Clik here to view.
イメージ 2

御所市は「葛城王朝」のあった所だとされているようですが、この高天原も、天津族の高天彦神社も、アジスキタカヒコネの高鴨神社も、姫の宮の長柄神社も全て御所市にありますから、「御所」という地名はそれらの人々の宮(御所)があったことから付いたものなのではないでしょうか(^o^)

 

葛城も含めて4世紀末まで大和を支配していたのは大国主の王朝であり、その大国主の王朝を滅ぼして次の支配者となったのは天津族の王朝だったのですから、狭い地域にそれとは別に「葛城王朝」というものがあって王朝がいくつも並立していたということはないだろうと私は思います。

 

天津族が大和に攻め込んだ時には、アジスキタカヒコネがヤタガラスとなって東征軍の手引きをし、天津族と大国主の最終決戦の時に大国主・ナガスネヒコを殺したのは、ウマシマジノミコトを祀る「石見国一の宮・物部神社」の由緒によれば、ナガスネヒコの娘(アジスキタカヒコネの妹)が生んだ孫のウマシマジノミコトだったようです<(_ _)>

 

異母兄弟や兄弟間の王位争いや反乱とは、本人・妻の一族・その取り巻きたちの命運を賭けた、ロマンとは程遠いall or nothingの命懸けの戦いであって、「女性を横取りした」などという理由で簡単に始められるようなものではなく、王座を勝ち取るためには敵とでも手を組むというようなすさまじいものだったのです。高句麗が滅亡したのも、戦い続きで国が疲弊していたところに淵蓋蘇文の後継争いが起きて、一方が唐軍を引き込んだためだったようですしね<(_ _)>

 

安曇連浜子が係わったという「住吉仲皇子の反乱」も、天皇が望んだ女性に皇子が手を出したなどという理由で起きたものではないはずですし、この反乱は架空の履中天皇の時代ではなく、401年という崇神天皇の即位の前後に起きたものなのですから、やはり王位を巡るものだったのではないでしょうか。

 
 

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1389

Trending Articles