穂高神社と安曇野49 アメイジア大陸
2016.8.5 穂高神社と安曇野49 アメイジア大陸 今日の朝刊に「2億5000万年後の大陸移動を予測」という記事が載っていました。...
View Article穂高神社と安曇野50 志賀島と金印
2016.8.6 穂高神社と安曇野50 志賀島と金印 志賀島にいた安曇族の祖が呉から渡来した人たちだったとすると、志賀島で発見された「漢委奴國王」の金印とこの人達には関連がありそうですね(^o^)。 「漢委奴國王」の金印...
View Article穂高神社と安曇野53 志賀島と金印4
2016.8.16 穂高神社と安曇野53 志賀島と金印4 8.8の「志賀島と金印」の続きに戻ります。http://blogs.yahoo.co.jp/sweetbasil2007/archive/2016/8/8 『漢委奴國王』の金印が宝物として伝わっていたという細石(さざれいし)神社とはいったいどういう神社なのか、なぜそのような口伝が残っているのかを調べてみました。...
View Article穂高神社と安曇野54 志賀島と金印5
2016.8.17 穂高神社と安曇野54 志賀島と金印5 糸島では3つの伊都国王墓が分かっており、その中で細石神社のある「三雲南小路王墓」が最も古い王墓だそうですから、細石神社は、やはり次の王が先代の王を祀るために作った伊都国王家の祖廟で、祭神はこの王墓の被葬者である王夫妻だったようです。...
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2016.8.18 穂高神社と安曇野55 志賀島と金印6 この金印の印面に刻まれた文字は、“漢”の文字で始まっていますが、福岡市博物館によれば、異民族であっても直轄領内の内臣には「てん王之印」のように王朝名は付けられないそうで、「“漢”で始まるのは倭が外臣として服属しているが、直轄領となっていなかったため」なのだそうですが・・・・http://museum.city.fukuoka.jp/gold/...
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2016.8.19 穂高神社と安曇野56 志賀島と金印7 「漢委奴国王」の金印は、江戸時代の天明4年(1784)に農作業中の農民によって志賀島で偶然に発見されたのだそうですが、その発見された経緯は詳らかではないようです。この金印は土に埋もれていたのではなく、巨石の下に3つの石で囲むように隠されていたのだそうですが・・・・...
View Article穂高神社と安曇野57 志賀島と金印8
2016.8.20 穂高神社と安曇野57 志賀島と金印8 146年~189年の間に起きた大乱の後、盟主に立てられた卑弥呼が魏に送った朝貢使を、学者さんたちは「難升米(なしめ)」としているようですが、国から外国に送られた使者がただの「なしめ」というのは不自然だとは思いませんか?...
View Article穂高神社と安曇野58 倭国大乱
2016.8.22 穂高神社と安曇野58 倭国大乱 中国の記録によれば、倭国では男王の時代が70~80年続いた後、1世紀の中頃に5~6年に渡る内乱が起き、後漢の桓帝と霊帝の間(146年~189年)には大乱があって、その大乱の後に卑弥呼が王に立てられ、3世紀の中ごろには再び千人余が死んだという大乱が起きていたようです。...
View Article穂高神社と安曇野59 海の正倉院と海人族
2016.8.23 穂高神社と安曇野59 海の正倉院と海人族 志賀島にやってきて「儺の国」を作っていた人達や安曇野にやって来た穂高見命の一行は海人族で、海人族は呉越戦争に敗れて国を後にした呉の人達だったようですが、宗像神社を奉斎する宗像氏も海人族だそうですから同族なのですね。...
View Article穂高神社と安曇野60 海の正倉院と海人族2
2016.8.24 穂高神社と安曇野60 海の正倉院と海人族2 沖ノ島は「海の正倉院」と言われているということから、ずいぶん前に「海の正倉院 宗像 沖ノ島の神宝」という図録を見たことがあったことを思い出しました(^o^)。...
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2016.8.25 穂高神社と安曇野61 海の正倉院と海人族3 図録を見ると学者さんたちは、沖ノ島にあった夥しい宝物は大和朝廷から宗像大神に奉献されたもので祭祀に使われたと考えているようですが、それは、『記紀』信仰と沖ノ島は御神体であるという「理論負荷性のフィルター」がかかった見方なのではないでしょうか(^_-)。...
View Article穂高神社と安曇野62 海の正倉院と海人族4
2016.8.26 穂高神社と安曇野62 海の正倉院と海人族4 海人族の宗像徳善の娘の尼子娘は大海人皇子(天武天皇)の最初の妻となり第一皇子の高市皇子を生んだにもかかわらず皇后にはなれず、皇后になったのは天津族の中大兄(天智天皇)の娘の讃良皇女でした。...
View Article「臥薪嘗胆」と国策
2016.8.27 「臥薪嘗胆」と国策 erasusさまから「臥薪嘗胆の故事も後世の創作ですかあ?でも臥薪嘗胆の物語は、福音館の故事成語集と、ことわざ集から…小学生時代に始まる学習ですから。嘘と疑うようでは素直な勉学はできません」とのコメントを戴きました。...
View Article穂高神社と安曇野63 安曇族(海人族)
2016.8.29 穂高神社と安曇野63 安曇族(海人族) 『穂高神社と安曇族』の「安曇族の盛衰」によると、古文献には安曇氏が数々登場していることから安曇氏が大和朝廷の重臣になって活躍していたことがうかがわれるそうで、『日本書紀』には応神天皇3年に安曇氏の先祖の大浜宿禰が海人を統率する宰(みこともち)に任じられたことが記されているそうです。...
View Article穂高神社と安曇野64 安曇族(海人族)2
2016.8.30 穂高神社と安曇野64 安曇族(海人族)2 戦後GHQが教科書から神功皇后を削除したため、私は神功皇后を教えられなかったわけですが、考えてみると神武天皇も紀元節も教えられていないのですよね。紀元節は1948年(昭和23年)に占領軍...
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