2016.8.15 会津と養老渓谷の海
オリンピックを横目に見ながら会津・房総半島と走り回った激動の一週間でした(^o^)。
会津盆地は海だったのではないか?と考えて、確かめに行ってみたいと思い始めたのが「オオ氏とは何者か?オオヒコノミコトとは何者か?」を考えていた2014年のことだったのですが、調べてみると会津には天津族が東征して来る以前の大型前方後円墳があり、三角縁神獣鏡が出土していることが分かったので、少なくても福島までは大国主の傘下に入っていたに違いないと思い、その古墳の位置や地形も確かめてみたいと考えていました。
新潟には諏訪神社がたくさんあり、大国主の傘下にあったことは確かなので、オオヒコ親子がはるばるヤマトから新潟・会津まで遠征してきたのはそのためだったのだろうと考え、会津から新潟の胎内市まで行ってみたいと思ったのですが、2泊3日で両方はちょっと無理そうでした<(__)>。
ところが去年の夏に裏磐梯では塩湯が湧き、塩を生産していることが分かったので会津盆地はやはり海だったのだと確信し、まずは会津に行ってどのような場所なのか地形や地名や遺跡を確かめたいと思ったのですが、
その後、長野県の大鹿村でも塩湯が湧いていて塩を生産していることが分かったので、先にそちらへ行ってしまったのですよね(^_-)。
そういうわけでこの夏は会津へ行ってみることにしました。去年の大鹿村の山塩以来、アンデスの塩やヒマラヤの塩など世界の塩のコレクションが手元に増えてきたので(^o^)、会津の山塩もコレクションに加えようと思ったのですが、先月「ブラタモリ」でこの山塩を取り上げた影響で製造元でも近隣の取り扱い商店でも品切れになってしまっていたので<(_ _)>、塩飴だけ買ってきました。
大鹿村の山塩と塩飴
会津の塩飴
製造元の山塩企業組合
塩湯の湧く温泉神社
塩湯 含まれる塩分は1%ほどで、海水よりずっと薄いそうですから、効率は良くないですね<(__)>。その日は燃料の薪を採りに行っているということで作業場は休止していました。
で、会津から帰ってきて「通りすがり」さまのコメントへのお返事を書いて翌朝、今度は房総半島へと・・・・・。
こちらは子供主体だったので、ついでにチバニアンの資料を収集して↓のような地層が見られればいいな、という程度だったのですが、前夜に調べていたら、養老渓谷ではトドだけではなく、クジラやホタテの化石などもたくさん出ていることが分かったので、あわよくば、とハンマーを持参したものの、化石を探す時間はありませんでした(T_T)。
君津市の地層
チバニアンも地元の関心はまだまだのようで、残念ながら資料は全くありませんでしたが、養老渓谷のあちこちで↓のような水平に縞模様に堆積した地層が見られ、泊まった宿にはここから出土したというホタテの化石が展示してあったことなどからここが海だったことは確認できました。
観光センター駐車場
老川十字路付近
亀山ダム付近