穂高神社と安曇野37 草の舟での航海10 大陸棚って?
2016.7.16 穂高神社と安曇野37 草の舟での航海10 大陸棚って? ところで、海岸沿いには大陸棚というものがありますよね。大陸棚って何だろう?なぜそういうものがあるのだろう?って考えたことはありませんか? 大陸棚について調べてみると、 大陸棚(たいりくだな)とは、大陸の周縁に分布するきわめて緩傾斜の海底で、傾斜の変換点をその外縁とする平らな棚状の地形をいう。...
View Article穂高神社と安曇野38 草の舟での航海11
2016.7.17 穂高神社と安曇野38 草の舟での航海11 今朝の7時に草の舟が与那国島を出航したことを、先ほどニュースで知りました(^o^)。明日は気温が上がるようなので、脱水症状を起こしたり、熱中症になったりせずに無事に西表島につくことができればいいのですけれどね。 でも、3万年前には海の様相も陸の様相も今とは全く違っていたのです。...
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2016.7.18 コメントへのお返事 草の舟での航海12 Killiyさまのコメント古代人が海路を使い移住したことは、当時の海面と陸地を説明されても理解しがたいものがあります。航海なら、最大1週間分の食料と水を積んで、3日目に陸が見えなかったら戻る計画だったのでしょうか。少人数なら、絶滅危惧種の状態です。...
View Article草の舟での航海13 3万年前の航海再現実験の結果
2016.7.19 草の舟での航海13 3万年前の航海再現実験の結果 沖縄県・与那国島を17日午前7時に出発した草舟2艘は、18日午前11時ごろに約75km離れた西表島に到着したそうですが、強い潮流で北へ流されたために航海を中断して伴走船に曳航され、西表島の南南西およそ10kmの地点から再び手こぎを再開しての到着だったそうです。...
View Article穂高神社と安曇野39 草の舟での航海12 大陸棚って?2
2016.7.20 穂高神社と安曇野39 草の舟での航海12 大陸棚って?2 すっかり草の舟に関心が向いてしまっていましたが戻ります。7.16の続きです。http://blogs.yahoo.co.jp/sweetbasil2007/42889284.html...
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2016.7.21 穂高神社と安曇野39 大陸棚って?3 大陸棚で沿岸国が何を行うことができるかや、外国の船が通航するための条件などは、国連海洋法条約によって水域毎に定められているのだそうですが、大陸棚は浅いので日光が届きやすく、植物プランクトンが繁殖するために魚が集まる好漁場であるうえ、海底油田などの資源があって国家間の経済的な利害が絡むので、境界を決めるのは難しいようです<(_...
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2016.7.22 穂高神社と安曇野40 大陸棚って?4 先日の「海の日」の夜、「黒潮を漂流」という番組があったので、黒潮に流されるとどこまで行ってしまうのだろう?と思って見てみました(^o^)。潮流が大きく南に蛇行している時には鳥島に漂着するようで、江戸時代には100人以上が鳥島に漂着し、そのうち80人が生還していたのだそうです。...
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2016.7.23 穂高神社と安曇野41 大陸棚って?5 パラオの600ほどの島のうち、45kmの範囲に散らばる200ほどのロックアイランドが2012年に世界遺産に登録されたそうで、これらの島々は太平洋プレートがフィリピン海プレートに潜り込む所にできた海底火山とそこに積み上がったサンゴの死骸に由来する石灰岩でできているそうです。...
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2016.7.25 弥生式土器発掘ゆかりの地 昨日、久しぶりに根津神社と「弥生式土器発掘ゆかりの地」の碑に行ってみたのですが、以前行ってみた時には見えなかったものがいろいろ見えてきました(^o^)。...
View Article弥生式土器発掘ゆかりの地2 根津神社
2016.7.26 弥生式土器発掘ゆかりの地2 根津神社 五代将軍・綱吉が造らせた権現造りの根津神社 ↓には「重要文化財」と書いてありますが、 こちらには「国宝」と書いてあります。どっちなのかな? 調べてみたら、国宝ではなく重要文化財でした(^_-)。...
View Article穂高神社と安曇野43 穂高見命
2016.7.29 穂高神社と安曇野43 穂高見命 穂高神社からあちこちに飛んでしまいましたが安曇野に戻ります。 先日たまたま深田久弥著『日本百名山』を開いたら、出てきたページが「55 穂高岳」だったので、どんなことが書いてあったっけ?と読み直してみたところ、「信濃もかつては海であった。わたつみであった。安曇はわたつみの転訛だという。」と穂高神社の縁起に記されていると書いてありました(^o^)。...
View Article穂高神社と安曇野44 呉国と孫子の兵法
2016.7.30 穂高神社と安曇野44 呉国と孫子の兵法 呉越戦争の頃の呉というと、三国時代(魏・呉・蜀)の呉(222年~280年)ではなく、春秋戦国時代の呉(紀元前585年頃~紀元前473年)のことで、呉王・夫差と越王・勾践が激しい戦いを繰り返し、孫武(孫子)が兵法書を書いて呉の将軍となっていた頃のことですね。...
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2016.7.31 コメントへのお返事 コメント和銅6年(713年)4月3日に丹波国の北部、加佐郡、与謝郡、丹波郡、竹野郡、熊野郡の5郡を割いて、丹後国が置かれました。 古墳時代には竹野川流域を中心に繁栄しており、独自の王国が存在したとする説もある(丹後王国論を参照)。7世紀に令制国として丹波国が成立したときは、丹波郡(後の中郡)がその中心地であった説もある。...
View Article穂高神社と安曇野45 やっぱり歴史はでたらめ?
2016.8.1 穂高神社と安曇野45 やっぱり歴史はでたらめ? 「臥薪嘗胆」というのは李白の「秋浦歌」の「白髪三千丈」と同じように、それほどの苦労をしたのだということを強く印象付けるための蘇軾の表現であって、史実ではなかったようです(^_^.)。...
View Article穂高神社と安曇野47 『火の路』
2016.8.3 穂高神社と安曇野47 『火の路』 松本清張著『火の路』を読んで、「歴史学における科学的でアカデミックな態度とは文献や諸学説を並べることであり、教授と異なる意見を持ってはならない」ということがその世界の「常識」なのだということを知り、「うすうす感じてはいたけれど、やっぱりそうだったのか」と思ったのですが(^_-)、この小説には他にもいろいろと示唆に富んだことが記されていました。...
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