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弥生式土器発掘ゆかりの地3 根津

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2016.7.27 弥生式土器発掘ゆかりの地3 根津

 

「根津」について調べてみたら、この地名には地形由来説と神社由来説があって、神社由来説は、「もともと駒込千駄木の団子坂上に位置していた根津神社が現在地に遷されて以降この一帯が根津と呼称されることになった」としているそうですが、これはあり得ません。スサノオを祀るこの神社は、根津に遷されたから「根津(の)神社」と呼ばれるようになったのであって、団子坂上にあった時には「根津神社」と呼ばれていたはずはないのですから(^o^)。場所から「駒込(の)神社」か「千駄木(の)神社」、またはスサノオを祀っていますから祭神から「天王社」か「八坂神社」と呼ばれていたのではないでしょうか(^o^)

 

他にも「不寝(ねず)権現」(寝ずに神々の番をする神)や「鼠(ねず)」(祭神の一つである大国主の神使)に由来するとする説や、ヤマトタケルが根津神社を創建した際に「ここは国の根、国の津たり」と語ったからだという説もあるそうですが、「寝ずに神々の番をする神」や「大国主の神使の鼠」では、将軍が産土神とするにはずいぶん格の落ちるカミサマのようですし(^_-)、ヤマトタケルの言葉からは、ここがヤマトタケルの時代には「国の津」つまり海だったらしいということは分かりますが、ヤマトタケルは『古事記』が作った架空の人物ですから、どれも「・・・と考えればよい」式の根拠のない説のようです(^o^)

 

一方地形由来説では、古くは忍が岡・向ヶ岡と海との付け根の位置にあり、船着場であったことから港の意味を持つ「津」をあわせ地名になったとされているそうで、『本郷区史』では、諸説を紹介した上で地形由来説をもっとも妥当な説としているそうです。

 

ということは、忍が岡・向ヶ岡の麓は海だったということは分かっているということなのでしょうね(^o^)

 

私は、浮世絵の神田明神や湯島天神には海が描かれていること、牛天神の麓に頼朝が舟を繋いだという伝承があること、本郷台地の縁には貝塚や遺跡があること、地名などから古代の海の位置を推理してきたのですが、↑の地形由来説を見ると、やはり海だったことや船着き場があったという記録がどこかにちゃんと残っていたようですね\(^o^)/。

 

貝塚があるということは海が近くにあったのではないか?と考えたら、私には上記のように海だったことを示すものがいろいろ見えてきたのですが、地形は不変だと思い込んでいて、貝塚が町中にあることにもなんの疑問も感じない方々には、上記のようなモロモロのことは、単なる書き間違いや荒唐無稽なデタラメにしか見えないのでしょうね(^_-)

 

同じものを見ていても、何がどう見えるかは全く違うようです。

 

「視覚を真に司るのは知識」のようですが、見えるか見えないかには知識だけではなく、どんな知識や考え方を持って見ているかという理論負荷性のフィルターがかかっているということなのでしょう。「古代の地形から『記紀』の謎を解く」を読まれた方も、なるほどと納得された方と全くのデタラメだと思われた方とに真っ二つに分かれたようです(^_^.)

 

ところで↓をよく見たら、これが設置されたのは平成18年だったのですね。私が遺跡の場所を見ようと出かけて行ったのはそれより前でしたから、その時にはこの案内板はまだなかったようです<(_ _)>


イメージ 1


 以前江戸の地図を買ったことを思い出したので根津神社の辺りを見てみました。1856年の地図を元にしたものなので、根津が「津」であったことはこの地図では分かりませんでしたが(^o^)

イメージ 2

 白い部分が水戸徳川家の下屋敷(現・東大農学部、工学部)で右側に接するピンクの部分が根津権現社地です。

イメージ 3

 中央を通っているのが言問い通りで、画面中央のT字路の角に「弥生式土器発掘ゆかりの地」の石碑が建っています。左側は加賀藩の上屋敷。
 

根津神社で金太郎あめを買ってきました。今口の中に入っています(^o^)

 
イメージ 4


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