Quantcast
Channel: 歴史探訪
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1389

弥生式土器発掘ゆかりの地 弥生式土器とウィルスの広がり

$
0
0

2016.7.28 弥生式土器発掘ゆかりの地 弥生式土器とウィルスの広がり

 

ここまでにATL(成人T細胞白血病)ウィルスとB型肝炎ウィルスから、旧石器時代には北と南からホモサピエンス(新人類)が日本にやって来て先住の縄文人となっていたこと、その後、紀元前2800年頃から中国や朝鮮半島から大勢の人が日本列島に渡来して来るようになって、先住の縄文人を駆逐しながら広がり弥生時代に移行していったということが分かりました。

 

この旧石器時代・新石器時代のような石器の種類による時代区分と、石器時代・青銅器時代・鉄器時代のような材質による時代区分と、縄文時代・弥生時代というような土器の様式による時代区分をごちゃまぜにして、その時々で自分に都合の良い時代区分を使ってもっともらしく作られている「諸説」にはずいぶん悩まされましたが<(_ _)>

 

日本におけるB型肝炎ウィルスの型の分布

イメージ 1

 

先日読んだ帚木蓬生著『白い夏の墓標』では、この分布は↓のような数値になっていました。この本は文献ではなくミステリーなのですが、ここでもウソ八百の文献やそのつじつま合わせの訳の分からない解釈本を読むよりも、ミステリーを読む方がずっとずっと有意義でした\(^o^)/。


       adr型   adw

福岡    92%    8

広島    89%    11

岡山    85%    15

神奈川   77%    23

栃木    61%    39

秋田    46%    51

 

つまり、中国・朝鮮に由来するB型肝炎ウィルスのadr型のキャリアは九州と本州西端に多く、北と東に向かって少なくなっているのですが、逆に北方系の旧石器時代人に由来するadw型ウィルスのキャリアは北と東に多く、南や西に行くにつれて比率が下がっていっているのです(^o^)

 

例外は沖縄と北海道で、北海道では中国・朝鮮に由来するadr型の方が68%と高く、沖縄ではadr型が14%と低くなっているのですが、これは北海道には明治以降に全国から大勢の人が移住したためであり、沖縄は17世紀に薩摩藩の侵攻を受けるまで大和朝廷の支配の及ばない独立した琉球王国であったため、南方系のadw型ウィルスを持った旧石器時代人の系譜が色濃く残っているということだろうと思います。

 

そして、adr型のキャリアの比率が北に行くほど下がっていることを示している上記のデータは、見方を変えれば、弥生人が渡来して来るまでは日本全国に広がって暮らしていた(縄文遺跡は日本中にあるのですから)adw型ウィルスを持つ縄文人を、adr型ウィルスを持った弥生人が徐々に駆逐しながら西南日本から東北日本へと広がって増えていったことを示しているのです。

 

つまりこのウィルスキャリアのパーセンテージの変化は、中国・韓国から渡来した弥生人が西南日本から東北日本へと広がっていったことを示しているのであって、『記紀』が神代の話として騙った4世紀までの大国主の時代や、紀元前の「神武の東征・東国征服神話」として騙った4世紀末からの天津族の東征・東国征服の結果であり、8世紀に朝廷が行った蝦夷征伐の結果だということなのです。

 

弥生式土器は、九州北部で発生したと推察されているそうですが、九州から関東に広がるまで時期差があり、弥生式土器の出現は東に行くにしたがって遅くなっているそうです。

 

文化や技術は人が運ぶものですから、これは西南日本に渡来した弥生人が、徐々にその生活範囲を東北日本に広げて行ったということであって、adr型ウィルスキャリアの東日本への広がりと、弥生式土器の東への波及とは同時に起きたものだと私は思います。





Viewing all articles
Browse latest Browse all 1389

Trending Articles