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穂高神社と安曇野39 草の舟での航海12 大陸棚って?2

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2016.7.20 穂高神社と安曇野39 草の舟での航海12 大陸棚って?2

 

すっかり草の舟に関心が向いてしまっていましたが戻ります。7.16の続きです。

 

ここまでに洪積台地と沖積平野の成り立ちからそれらが平らな理由は分かりましたが、それでは大陸棚はなぜ平らなのかというと、世界中の大陸の周辺に同じようなものがあるのですから、これは氷河時代に海面が下がっていた時の陸と海の境目で、波や堆積によって平らになった陸地が、海面が上がったために海底になってしまった部分なのではないでしょうか?

 

大陸棚の平均水深はほぼ130mだそうですが、氷河時代の海面は今より100m以上低い所にあったのですから、それなら大陸棚は氷河時代には陸地や浅瀬だったはずですよね(^o^)


海は大陸棚と大陸棚の間にあって、その間には現在は低潮高地(=暗礁)になっている南沙諸島のような島がいくつもあり、小さな草の舟でも渡ることができそうな場所に島や陸地が見えていたから、旧石器時代の人達は海を渡って行ってみたのだろうと思います(^o^)

 

当時の人々にとって新しい島に移り住むことは辿りつくことを目的にしたロマンや冒険ではなく、生活の一部であって生きることが目的だったはずですから、何の当てもなく出て行ったりはしなかったでしょうし、運よくどこかに辿り着いたとしても、行ったきりで戻って来なかったのでは後の人が続くことはできませんから、killiyさまがおっしゃるように絶滅危惧種になってしまって、それぞれの島でどんどん人口が増えたりしたはずはありませんものね(^_-)

 

↓の地図の赤い線は何を根拠にして引いたものなのか分からないのですが、氷河時代には陸地になっていたというこの赤い線が示している「2万年前の海岸線」が水深130m前後の大陸棚の範囲なのでしょうか(^o^)

 

2万年前の海岸線 帝国書院「地図で訪ねる歴史の舞台」より

イメージ 1

 
イメージ 2

↑に「5060万年前と推定される日本最古の旧石器時代の遺跡」と書いてあるので、ビックリして高森遺跡について調べてみたところ、ここが藤村新一氏による旧石器捏造事件の舞台だったのですね。捏造が発覚したのは2000年なのですが、この地図の出版は1999年になっていました(^o^)


     イメージ 3


海に囲まれた日本の領土面積は約38万㎢であるのに対し、日本の管轄海域面積(領海及び排他的経済水域)は447万㎢もあり、世界第6位だそうで、それらの水域は、沿岸から近い順に、沿岸から12海里までが領海、24海里までが接続水域、200海里までが排他的経済水域であり、大陸縁辺部の外縁までが大陸棚、その先が公海となっているそうですが、二国間の距離が近く、それぞれの沿岸からの距離が400海里未満である場合には、双方が沿岸から200海里までの大陸棚を主張すると重なり合ってしまうため、話し合いによって大陸棚の境界を画定することになっているそうです。

 

でも先日も書いたように、国連海洋法条約は現在の海や陸を元にそれが過去も未来も変化しないということを前提にしているようですから、とても危ういものなのです。

 

今朝、7時半頃に大きな地震があっったのでビックリしたのですが、その後9時近くにまた地震速報が出たので、おや?と思って震源地と大きさを調べてみました。

 

4.20 300 駿河湾 M4.1

   725 茨城県南部 M5.0

   819 茨城県南部 M3.0

   854 岩手県沖 M4.7

 

と今朝は4回の地震があったようです。午前3時ごろに駿河湾でプレートが動き、その動きが8時頃には茨城県沖に伝わり、9時時頃には岩手県沖まで玉突きのようにプレートを動かして行ったということでしょうか。

 

プレートは動き続け、陸も海も一定ではなく少しづつ変化し続けているのですよね。

 

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