2016.7.19 草の舟での航海13 3万年前の航海再現実験の結果
沖縄県・与那国島を17日午前7時に出発した草舟2艘は、18日午前11時ごろに約75km離れた西表島に到着したそうですが、強い潮流で北へ流されたために航海を中断して伴走船に曳航され、西表島の南南西およそ10kmの地点から再び手こぎを再開しての到着だったそうです。
結局自力で進めたのは最初と最後だけということで、「草の舟では黒潮を乗り越えて西表島に渡ることはできない」ということが分かったわけですね(^_-)。昨日書いたように私は、黒潮ウンヌン以前にごく普通に考えれば「古代人が75km先に島があるということを知らないまま出航した」という設定自体があり得ないことだと思っていたのですが(^o^)。
このプロジェクトの代表で国立科学博物館人類史研究グループ長の海部陽介さんは、「うまくいかなかったのは悔しい。海の状況がもっと良い日を選んだ方がよいのか、舟の問題なのか。台湾から黒潮を越えて与那国島に渡る航海の実現に向け、結果をよく考えたい」「今回の航海で謎がかえって深まった」とお話になったそうですが、舟や日が問題なのではなく、ここまで書いてきたように3万年前の海と陸が今と同じだったはずだという思い込みが失敗の一番大きな原因なのです。
動力も帆もない草の舟を人力だけで動かして行きつくことができる距離はどのくらいかをまず実験するべきだったのではないでしょうか。舟も人も、その能力の限界を超えて遠くまで行くことはできないのですから(^o^)。
でも実際にやってみて、与那国島から西表島までの75kmでさえ直接草の船で渡ることはできないことが分かって仮説が否定されたのは一歩前進なのでしょうね(^o^)。これまでは、私には到底納得することのできない『古事記』の荒唐無稽なオハナシや、そのつじつまを合わせるためだけの思い付きの仮説を何の検証もせずに既定の事実とし、「定説」や「学説」にしてきたのですから。
そんな人文科学系の博物館は納得できないことばかりなので、最近は自然科学系の博物館の方に眼が向いていたのですが(^_-)、国立科学博物館のH.Pを見ていたら、今、シアターで「恐竜の世界–化石から読み解く–」「人類の旅–ホモ・サピエンス(新人)の拡散と創造の歩み–」が上映されていることが分かったので、17日に出かけてみました。
博物館のステンドグラスや装飾はとでもきれいです(^o^)。
シアターは初めて行ったのですが、大人気のようで3回待ちでした<(_ _)>。ティラノサウルスがグーッと迫ってくる場面などは迫力満点で、なるほど人気があるはずだと思ったのですが、納得できない「・・・と考えてよい」的な映像もありました(^_^.)。
例えば「20万年前にアフリカで生まれたホモ・サピエンスは、それ以前の人類たちが越えられなかった自然障壁を乗り越え、世界中へと大拡散を遂げました。その壮大な歴史のいくつかの場面を復元します」ということで、最後に帆を上げた船に乗ったホモ・サピエンスがオーストラリアに向かって大海原を渡っていくシーンがあったのですがこれは「???」と思いませんか?
今度の実験は、3万年前に使われていた石器では木を刳り抜いて丸木舟を作ることはできなかったと思われるから、舟の材料に使われたのは草だったに違いないということで「草の舟での航海実験」になったのでしたよね?
それなのにオーストラリアに向かったホモ・サピエンスは丸木舟どころか木を使った舟を作って帆柱を立て、風を動力に使って海を渡っていたということなのでしょうか??もしそうであったなら、今度の草の舟の実験は一体なんだったのでしょう?
与那国島から西表島に向かうよりオーストラリアに向かう方がずっとずっと距離があるはずですが、どうしてその人たちは海の向こうの見えない所にオーストラリア大陸があるということを知っていたのでしょうね?あることを知らずに何の当てもなく海へ出て行ったのでしょうか?
帆を張っていても舵は無く風任せだったようなのに、どうやってオーストラリアに辿りつけたのでしょうね?「オーストラリアは海に囲まれているのだから舟で行ったに決まっているし、実際にアボリジニがいるのだから辿りついたに決まっている」ということなのでしょうか(^_-)?
私には疑問だらけなのですが、国立科学博物館といえば「大権威」ですから、ここでこの映像を見たほとんどの人は何の疑問も持たずに信じてしまったのでしょうけれど、人文科学のみならず自然科学でも「権威」や「肩書」を鵜呑みにしない方がよさそうですね(^_-)。