2016.7.18 コメントへのお返事 草の舟での航海12
Killiyさまのコメント
古代人が海路を使い移住したことは、当時の海面と陸地を説明されても理解しがたいものがあります。
航海なら、最大1週間分の食料と水を積んで、3日目に陸が見えなかったら戻る計画だったのでしょうか。
少人数なら、絶滅危惧種の状態です。
お返事
そうですよね。何十人も乗れるような大きな舟など作れなかったでしょうし、男ばかりの少人数で行ったのだとすれば、もし3日目に陸が見えたとしても無人島なのですから、辿りつけたとしても行ったきりなら遠からず絶滅してしまったはずですよね(^_-)。
でも台湾から無人島に渡った人類は、絶滅せずにその後おおいに繁殖し続け、次々に島に遺跡を残しながら沖縄までやってきたのですから、島に渡って行った人々の中には男だけではなく、女・子どももいたのでしょうね(^o^)。
今回の航海実験は与那国島から西表島まで30時間、寝ずに舟を漕ぎ続ける計画だったようですが、どこに陸があるかも分からずに何日も不眠不休で舟を漕ぎ続けるなどということは、たとえ健康な若い男性でもできるはずはないと私は思います。しかも舟に乗っていたのは青壮年の男性だけではなかったはずですし。
3日目どころか、今いる所から島影が見えていて、あそこまでなら行けそうだと思ったから行ってみたのではないでしょうか(^o^)?最初は男性だけだったかもしれませんが、行ってみて水の有無など生活できる島かどうかを確かめた後、元の島と行ったり来たりしながら環境を整え、徐々に移住していったのではないかと思います(^o^)。
当時の容器が分からなかったということで、今回は飲料水をペットボトルで持って行ったようですが、そもそも3万年前に一週間分の水を船に積んで運べるような容器は無かったのではないかと私は思います。もし水を動物の皮などで作った袋に入れたのだとしたら、長くは持たずに腐ってしまったのではないでしょうか(^_-)。
草の舟の進行状況が気になって続報を探してみたら、案の定、行先と所要時間があらかじめ分かっていたにもかかわらず、昨日のうちに針路がずれてしまい、漕ぎ手は伴走船に収容されて草の舟は帆走船に曳航されているようです。でもこれは、もし伴走船がいなかったら、舟はどこへ流されて行ってしまったか分からず、潮の流れに逆らって戻ってくることもできなかったということですよね<(_ _)>?
やはり、3万年前の人々は、当てもなく見えない島に向って漕ぎ出して行ったのではなく、そう遠くない所に見えていた島を目指して漕ぎ出したのだろうと私は思います(^o^)。