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弥生式土器発掘ゆかりの地

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2016.7.25 弥生式土器発掘ゆかりの地

 

昨日、久しぶりに根津神社と「弥生式土器発掘ゆかりの地」の碑に行ってみたのですが、以前行ってみた時には見えなかったものがいろいろ見えてきました(^o^)

 

前回は、弥生式土器が発見された貝塚があったというのは町中のこんな所だったのか?と、貝とは全く縁のなさそうな街角であることを意外に思い、そこには石碑があるだけで貝塚の説明も遺跡の説明も無かったので「な~んだ たったこれだけ?」とがっかりして帰ってきてしまったのですが、やはり「視覚を真に司るのは目ではなく知識」だったようです(^_^.)

 

その道は何度も通っていたのに、それまで石碑が眼に入ったことは一度もなかったので、本で場所を知って驚き、本当にそこにあるのかどうかを確かめに行ったのでしたが、「そこにあるはず」と思って見たらちゃんと見えました(^_-)

 

街角に建っている石碑

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 あれから何年か経った今回は少し知識も増えていたので、見えるものも増えてきたわけですね\(^o^)/。角を曲がってみたら、塀に案内がありました。

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「弥生二丁目遺跡は武田先端知ビルにあって説明は自由に見学できる」と書いてあるので、それじゃ遺跡の説明はそこにあったのか、でも武田先端知ビルって何だろう?と思いながら行ってみたら、東大の工学部の建物で、門の外に案内があり、入って行った所に↓の説明と案内図が貼ってありました。

 
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A地点が遺跡と書いてあるので、どんな場所か確かめてこようと思ったのですが、間違って外に通じる道の方へ行ってしまったため、遺跡らしいものが見つからなくて戸惑っているところへ学生らしい人が外から入ってきたので、「弥生遺跡はどこですか?」と聞いてみました。ところが「分かりません。イセキって何?」という反応だったのでエッ!と思ったのですが、日本人だと思った彼はスェーデンから来ていた人でした(^o^)。入り口の地図を見て一緒に探してくれたのですが、遺跡はなんと彼の通っている校舎のすぐ裏にありました。草に埋もれた案内板だけでしたが(^o^)


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でも、場所は本郷台地が根津谷に落ちこむ台地の端だということが分かりましたから、やはりこの台地の麓は弥生時代には海で、根津は「津」だったのだと確信しました\(^o^)/。方形周溝墓があったというB地点は言問い通りに面した辺りでしたから、石碑の建っている辺り一帯が墓地だったようです。

 

根津神社の辺りには「根津は船の泊まる所に由来するという説がある」と書いてありましたから、この辺りは海だったという伝承か記録がどこかに残っていたのかもしれません(^o^)


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でもそうすると、神社がそんな低い所に造られたはずはないのにおかしいと思ったのですが、この神社は、元々は団子坂の上にあったものを1706年にここに遷したのだそうです。それなら元々は海を見晴らす台地の端に造られていた訳ですから、何もおかしなところはないことになりますね\(^o^)/。

 
イメージ 8

 

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