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穂高神社と安曇野118 安曇族(海人族)56 釈迦三尊像のモデル?

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2016.11.1 穂高神社と安曇野118 安曇族(海人族)56 釈迦三尊像のモデル?
 
10.23の新聞には、去年法隆寺に行った時には薄暗いし、遠くからなのではっきりとは見えなかった釈迦三尊像の頭部の写真も載っていたのですが、それを見て私は「この人、見たことがある」と思いました。「この仏像」ではなく、「この人」と思ったのです(^_^.)
 
イメージ 1

イメージ 2


私は人の顔を認識することが苦手で顔を覚えられないのですが、仏像ってあまり人間くさくない顔をしていますよね。整いすぎているというか、様式化されているというか、抽象化されているというか・・・・ 私は仏像にあまり興味がなかったのでうまく言えないのですが(^_-)
 
狩野芳崖の悲母観音像は女性像だと思ったのに、良く見たら髭が描いてあったのでビックリしたことはありましたが(^o^)、普段は仏像が男か女かなどと考えてみたこともありませんでした。でもこの写真を見た時、私は「男の人の顔だ」と思い、去年飛鳥寺で同じ印象を受けたことを思い出し、よく似ているような気がしたので、二つの写真を並べて比べてみました(^o^)
 
イメージ 3

イメージ 4

左が釈迦三尊 右が飛鳥大仏です。
 
人の顔を認識することが苦手な私は、よく似ていると思ったのですが、左の釈迦三尊像のほうがより人間的なような気がします。
 
どちらも止利仏師作だそうですが、釈迦三尊像の光背の銘文には「上宮法皇が病に倒れたため、王后と王子たちと諸臣が病気平癒を願い、もし平癒が叶わないのであれば浄土に登ってほしいと願って上宮法皇と等身の仏像の造像を発願した」ことが記されています。そういう願いを込めて作った像であるのなら、大きさだけではなく上宮法皇が浄土に登って仏になった姿としてすべてを本人に似せて作ったのではないでしょうか(^o^)
 
私がこの写真を見て「男の人の顔だ」と思ったのは、この仏像が抽象化された仏の顔ではなく、アメノタリシヒコその人の顔を写して作られたものだったからなのかもしれません(^o^)
 
私は仏像にはガンダーラ仏のイメージを持っていたのですが、飛鳥大仏や釈迦三尊のガンダーラ仏とは全く違う、面長で切れ長の目とどっしりした鼻を持った顔は、私には東洋人(弥生人)の男性の顔に見えたのです。
 
飛鳥大仏は605年に発願され、鞍作鳥(止利)を造仏工として609年に完成したのだそうですから、止利は少なくても605年からアメノタリシヒコが亡くなる622年までの17年の間アメノタリシヒコの近くにいたわけですし、その間二人は「仏像を造り仏教を広める」という目的を共有していた同士だったのです。
 
その止利がアメノタリシヒコの回復を願い、もしもそれが叶わぬのであれば浄土への往生を!との強い思いを込めて造った像なのですから、この像の顔は、アメノタリシヒコの顔のイメージを重ねたものであろうと私は思うのですが(^o^)



 

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