2016.10.18 穂高神社と安曇野105 安曇族(海人族)43 宗我神社
それでは、相模の支配者となって前鳥神社にウジノワキノイラツコを「氏の上(氏神)」として祀ったのは誰だったのしょうか?
2009年に前鳥神社に行った時にはまだ知らなかったのですが、相模には「曽我」の地名と宗我神社があって、その祭神は
宗我都比古之命 ( そがつひこのみこと )
宗我都比女之命 ( そがつひめのみこと )
応神天皇
となっていました。応神天皇はウジノワキノイラツコの父ですから、やはり蘇我氏の上祖ですね。相模の支配者となり、前島に祖廟を造って「氏の上」としてウジノワキノイラツコを祀ったのは蘇我氏の一族だったようです(^o^)。
宗我神社
↑には、「長元元年(1028)に奈良橿原市の式内大社・宗我都比古神社の神主だった宋我保慶が祖先の宗我都比古之命の墓を訪い、この神社を創建した」と記されていますから、宗我都比古神社の神主の宋我保慶は蘇我氏の子孫だったのですね。
この宋我保慶が神主を務めていたという橿原市の宋我坐宗我都比古神社は、橿原市曽我町にある式内大社で「曾我都比古神・曾我都比売神」を祀っていますから、曽我の支配者の祖廟でしょう(^o^)。1028年頃にはまだ正しく子孫が先祖を祀る祖廟の神主を世襲していたようです(^o^)。
通説では曽我町は蘇我氏の元々の本拠地とされていて、この神社は通称「入鹿の宮」と呼ばれているのだそうです。これは甘樫丘に「谷の宮門」を建てる前の皇子時代の入鹿の宮がここにあったということなのでしょうか(^o^)。
これまで私は奈良に「ソガ」という地名やそこに「ソガ」の支配者を祀る「宗我坐宗我都比古神社」があるということを全く知らなかったので、カバネでもなく地名でもない「ソガ」とはなんなのか、どこから出てきたものなのかが分からなかったのですが<(_ _)>、「ソガ」は橿原市の曽我であり、やはり地名だったようです。