陸行水行
2017.1.12 陸行水行 『陸行水行』の書き出しの「宇佐、豊前善光寺、四日市、安心院(あじむ)の盆地、妻懸部落、妻垣神社」などの地名と地形の描写には強く惹かれるものがあって、行って確かめてみたいと思いました(^o^)。...
View Article常陸国の地形と『常陸国風土記』の解釈
2017.1.16 常陸国の地形と『常陸国風土記』の解釈 既存の『記紀』解釈や古代史解釈はなんだかおかしい、納得できないと感じていた私が『陸行水行』や『まぼろしの邪馬台国』には「なるほど、そうかも」と思ったのは、実地踏査に基づく地形が記されていて、それがこれまでに『常陸国風土記』を元に常陸で検分してきたことと一致していたからなのです(^o^)。...
View Article妻垣神社は足一騰宮ではなく八幡宮だった?
2017.1.19 妻垣神社は足一騰宮ではなく八幡宮だった? また常陸に飛んで行ってしまいましたが安心院に戻ります(^o^)。...
View Article妻垣神社は足一騰宮ではなく八幡宮だった?2
2017.1.20 妻垣神社は足一騰宮ではなく八幡宮だった?2 なぜ「安心院」と書いて「あじむ」と読むのか?について、八幡宇佐宮御託宣集「御遊化(ごゆうげ)の部」には、...
View Article妻垣神社は足一騰宮ではなく八幡宮だった?3
2017.1.21 妻垣神社は足一騰宮ではなく八幡宮だった?3 私は安心院に行ったことがないので、どんな場所にあるどんな神社なのか知りたいと思って画像を探してみたら鳥居の写真があったのですが、その鳥居の扁額は「八幡宮」となっていましたから、少なくてもこの鳥居が造られた時には、この神社は応神天皇を祀る八幡宮だったようです(^o^)。...
View Article妻垣神社は足一騰宮ではなく八幡宮だった?4
2017.1.23 妻垣神社は足一騰宮ではなく八幡宮だった?4 妻垣神社はやはりここまでの推理どおり、神武の「足一騰宮」ではなく「八幡宮」であり、765年に石川豊成によって社殿が造られ、応神天皇夫妻が祀られたことが由緒から分かりました\(^o^)/。...
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2017.1.25 元号 譲位の問題に絡んで「元号」のことが取りざたされていますね。1月1日は忙しくて譲位式をする時間が無いのだけれど、1月1日から変わらないとカレンダーなどの印刷が困るということのようなのですが・・・・ 元号っていったい何の意味があるのでしょうね?私は元号には不便しか感じていないので、元号がない方が有難いと思っているのですが<(_ _)>。...
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2017.1.26 元号2 一代の天皇に一つの元号を付けて天皇の在位期間で時代を区分するというのは、明治時代に始まったばかりのものにすぎないのですし、元号による年代表記は日本人にしか通じないうえ、日本人だっていちいち西暦に換算して考えなければならないのですから、年号の表記は世界中に通じる西暦にした方がいいのではないでしょうか。...
View Article宇佐神宮3
2017.1.28 宇佐神宮3 私はお祭りの時くらいしか神社を意識していなかったのですが、子供の頃住んでいた町では八幡宮の氏子になっていたようです(^_^.)。...
View Article宇佐神宮4
2017.1.30 宇佐神宮4 先日の記事によれば、宇佐神宮の由緒には 「八幡大神は欽明天皇の御代の571年に初めてこの宇佐の地に御示現になり、『われは誉田天皇広幡八幡麿呂なり。我名をば護国霊験威力神通大自在王菩薩と号す』と告げられた」...
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2017.1.31 宇佐神宮5 宇佐神宮の始まりは、「八幡宮宇佐宮御託宣集」には 欽明期に三歳の小児が出現して「辛国(からくに)の城に初めて八流の旗を天降して 吾は日本の神となれり」と告げた と記されているそうです。...
View Article宇佐神宮6
2017.2.1 宇佐神宮6 由緒に「725年(神亀2年)、現在の地に御殿を造立し、八幡神をお祀りされました。これが宇佐神宮の創建です。」と記されているということは、725年まで宇佐神宮はなかったということなのだろうか?とさらにH.Pを見てみると、...
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