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宇佐神宮 神仏習合

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2017.1.24 宇佐神宮 神仏習合
 
妻垣神社の由緒では仏教伝来以前の人である八幡大神(応神天皇)と比大神(神武の母の玉依姫)が、「足一騰宮で利生(りしょう・衆生済度)の語らいをしていた」とされていたので「???」と思ったのですが、宇佐神宮の祭神も同じ「比大神と応神天皇と神功皇后」なのだそうです。それでは「宇佐神宮神託事件」で神託を下したというカミサマはどのカミサマだったのだろう?と調べてみると、和気清麻呂の要請で顕現したカミサマは、身の丈三丈(およそ9m)の僧形の大神だったそうです。
 
するとこの大きな僧形のカミサマは女神ではないのですから八幡大神(応神天皇)なのでしょうね(^o^)。でも、八幡大神はカミサマなのに、どうして坊さんの姿をしていたのでしょう?
 
何だか宇佐では神様と仏様がゴチャゴチャになっているようですが(^o^)、これはたぶん、このオハナシが作られたのが「神は仏の仮の姿だと考えればよい」というご都合主義の「神仏習合の思想」が作られた後のことだからなのでしょうね。
 
八百万の神々とは、様々な仏(菩薩や天部なども含む)の化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする「本地垂迹説」は、「カミはホトケだと考えればよい」とする日本独特の御都合主義なのかと思ったのですが、多神教のアジア全域に共通するものなのかもしれません(^o^)
 
他のカミサマは徹底的に排除する一神教に比べて、「他のカミサマは、本当はホトケサマだったのだとすればよい」として全部習合してしまった仏教はそれだけ多様性に対して寛容だったということでしょうか。釈迦を旗印にした侵略戦争はないようですものね(^_-)
 
子供の頃、なぜお寺には十二神将などのカミサマの像があるのだろう?カミサマってホトケサマの家来だったのかな?と不思議に思ったのですが(^_-)、そもそも仏教はインドで生まれたものなので、帝釈天や多聞天などのカミサマはインドのヒンドゥー教のカミサマに由来しているのだそうです。初めからカミとホトケが混在していた仏教が日本に入ってきた時、日本の八百万のカミサマも「本当はホトケサマだったのだ」として付け加えられたということのようです(^o^)
 
日本ではヒンドゥー教のシヴァ神の化身とされるマハーカーラ(大黒天)が、「ダイコク」の音から大黒=大国主にされるなど、さらに複雑になって訳が分からなくなっていますが<(_ _)>、訳が分からない方が有難味があるのかもしれませんね(^_-)
 
多神教の日本では、現在に至るまで新しいカミサマがどんどん作り出されているようですが、土俵にもカミサマがいたようで、私はその「土俵のカミサマ」が天に帰るところ(?)を見てしまいました(^o^)


千秋楽は初めてだったので表彰式が終わってもずっと見ていたら、土俵の上で出世力士による行司さんの胴上げが始まったのですが、これは「土俵のカミサマ」を天に帰す「神送り」の儀式なのだそうです。
 
ということは、場所中のカミサマは毎日力士に踏みつけられていたということでしょうか(^_-)。行司さんを胴上げするのは、行司さんがカミサマの依代だということなのかな?と調べてみると、そういうわけでもないようで、wikipediaによれば
 
33代木村庄之助は、『力士の世界』(文春新書、2008年)のなかで、以前は勝負審判が胴上げされていたが、行司に変更するという提案がされたとき、著者が「しきたりを簡単に変えていいのか?」と反論したものの結局押し切られ、土俵祭に参加した行司の中で、いちばん格下の者が胴上げされるようになった、と書いている。
 
のだそうですが、「いちばん格下の者が」ということは、断ることができない立場の人にその役割を押しつけたということでしょうか<(_ _)>
 
しきたりとか伝統とかというものは人為的に作られたものであって、さしたる根拠はなく、付け加えたり止めたり変えたりすることのできるもののようですね(^_-)




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