「金印・志賀島・阿曇族」29 宮地嶽古墳18
2018.7.3 「金印・志賀島・阿曇族」29 宮地嶽古墳18 笠原使主の宮は、鴻巣市の笠原小学校の辺りにあったのではないか?と考えて2013年に鴻巣市に行ってみたのですが、その辺りは田園地帯で6世紀に宮が造られた場所としては低すぎるような気がしました。けれどこの小学校が「ひなん場所」に指定されているということは、この一帯は周りに比べて小高くなっているということでしょうか?...
View Article金印・志賀島・阿曇族」30 宮地嶽古墳19 武蔵国一之宮
2018.7.4 「金印・志賀島・阿曇族」30 宮地嶽古墳19 武蔵国一之宮 以前各地の一之宮を調べていた時、武蔵国の一之宮は多摩の小野神社であり、しかも多摩川を挟んで多摩市と府中市に二つあることを知って、疑問に思い行ってみたことがありました(^o^)。https://blogs.yahoo.co.jp/sweetbasil2007/33595236.html 多摩市の小野神社...
View Article「金印・志賀島・阿曇族」32 宮地嶽古墳21 小野神社2
2018.7.6 「金印・志賀島・阿曇族」32 宮地嶽古墳21 小野神社2 律令制を導入し、薄葬令を出して政治改革をしようとしていたのは、天智天皇ではなく、応神天皇の子孫であったアメノタリシヒコ(馬子)-蝦夷―入鹿だったのですが、崇神系の中大兄のクーデターによって入鹿が殺され、中大兄が王位に就いたため、改革は中途で潰えてしまいました(T_T)。...
View Article「金印・志賀島・阿曇族」33 宮地嶽古墳22 小野神社3
2018.7.7 「金印・志賀島・阿曇族」33 宮地嶽古墳22 小野神社3 なぜ多摩川をはさんで二つの小野神社があるのか、どちらが「武蔵国一之宮」なのか、小野氏とは何者なのかも学者さんたちの間では「謎」になっているようです。 二つの小野神社と多摩川・国府との位置関係...
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2018.7.8 西日本の大水害と古代の海 西日本の雨と水害はとどまるところを知らないような勢いでしたが(T_T)、今日やっと大雨特別警報は解除されたようです。 高梁川の周辺の平地はやはり古墳時代頃まで海であり、「さこ・にま」の地名はかなり遅い時期まで沼や湿地だったところのようで、https://blogs.yahoo.co.jp/sweetbasil2007/42087398.html...
View Article「金印・志賀島・阿曇族」34 宮地嶽古墳23 小野神社4
2018.79 「金印・志賀島・阿曇族」34 宮地嶽古墳23 小野神社4 「さこ・にま」を調べた時、奈良と大阪は出てこなかったのですが、奈良盆地も京都盆地も大阪平野も古墳時代には海だったのです。 小野神社の続きに戻ります。...
View Article「金印・志賀島・阿曇族」35 宮地嶽古墳24 小野神社5
2018.7.10 「金印・志賀島・阿曇族」35 宮地嶽古墳24 小野神社5 武蔵国一之宮・小野神社の近くには「小野牧」、二之宮・小河神社の近くには「小川牧」、四之宮・秩父神社の近くには「秩父牧」と呼ばれる朝廷に納める馬を飼育する牧があり、これらの御牧で育てられた馬が貢納されていた記録が残っているそうで、小野牧を管理していたのは別当の小野氏だったそうです。 小野牧・小川牧の推定地...
View Article「金印・志賀島・阿曇族」37 宮地嶽古墳26
2018.7.12 「金印・志賀島・阿曇族」37 宮地嶽古墳26 福岡市博物館で買った郷土資料「金印・志賀島・阿曇族」から深堀りしているうちに福岡からはどんどん離れて行って、忘れてしまいそうになりましたが、https://blogs.yahoo.co.jp/sweetbasil2007/43668961.html...
View Article「金印・志賀島・阿曇族」41 宮地嶽古墳29 金錯銘・銀錯銘の剣
2018.7.17 「金印・志賀島・阿曇族」41 宮地嶽古墳29 金錯銘・銀錯銘の剣 稲荷山古墳から出土した金錯銘鉄剣に刻まれていた「ワカタケル王」は、『記紀』信者の学者さんたちの言う「雄略天皇」ではなく、531年の辛亥の年にクーデター「辛亥の変」によって、崇神天皇の子孫の「継体・安閑・宣化」を倒して大和の磯城で即位した応神天皇の孫でアメノタリシヒコの祖父の欽明天皇なのですが、...
View Article「金印・志賀島・阿曇族」41 宮地嶽古墳29 金錯銘・銀錯銘の剣2
2018.7.18 「金印・志賀島・阿曇族」41 宮地嶽古墳29 金錯銘・銀錯銘の剣2 稲荷山古墳の金錯銘鉄剣、江田船山古墳の銀錯銘鉄剣が作られたのは6世紀で、そこに刻まれた「ワカタケル王」は架空の雄略天皇ではなく、531年に即位した欽明天皇です。...
View Article「金印・志賀島・阿曇族」42 宮地嶽古墳30 金錯銘・銀錯銘の鉄剣3
2018.7.19 「金印・志賀島・阿曇族」42 宮地嶽古墳30 金錯銘・銀錯銘の鉄剣3 福岡県埋蔵文化センターの資料によれば、古墳時代の銘文をもつ刀剣はこれまで全国で 7...
View Article「金印・志賀島・阿曇族」43 宮地嶽古墳31 応神天皇陵
2018.7.20 「金印・志賀島・阿曇族」43 宮地嶽古墳31 応神天皇陵 この応神天皇陵は、江戸時代の絵図等には「仁徳天皇陵」「大山陵」と記されているそうですが、被葬者が仁徳天皇であると確定できないため、1976年(昭和51年)以降は学術的な遺跡の命名法に則って「大仙陵古墳」とされているのだそうです。...
View Article「金印・志賀島・阿曇族」44 宮地嶽古墳32 『記紀』は「ウソばっか」
2018.7.21 「金印・志賀島・阿曇族」44 宮地嶽古墳32 『記紀』は「ウソばっか」 それにしても『記紀』は、応神系王族を隠すためによくもウソ八百のオハナシを並べ立てたものです<(_ _)>。...
View Article「金印・志賀島・阿曇族」45 宮地嶽古墳33
2018.7.22 「金印・志賀島・阿曇族」45 宮地嶽古墳33 敏達天皇は実在しなかったのではないかと考えて、2015年に敏達天皇の宮があったと推定されている桜井市の戒重へ行ってみたのですが、やはりここに敏達天皇の宮(皇居)があったとは思えませんでした。推定地とされる春日神社...
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