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「金印・志賀島・阿曇族」37 宮地嶽古墳26

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2018.7.12 「金印・志賀島・阿曇族」37 宮地嶽古墳26
 
福岡市博物館で買った郷土資料「金印・志賀島・阿曇族」から深堀りしているうちに福岡からはどんどん離れて行って、忘れてしまいそうになりましたが、
 
イメージ 1

なぜ福津市には当時の天皇墓に匹敵するような古墳があるのか?この古墳はいつ造られたもので、いったい誰が、なぜ、天皇と同じような待遇で葬られたのか?の推理に戻ります(^o^)
 
律令制を導入し、薄葬令を出して政治改革をしようとしていたのは、天智天皇ではなく、応神天皇の子孫であったアメノタリシヒコ(馬子)-蝦夷―入鹿だったのですが、崇神天皇の子孫の中大兄のクーデターによって大王・入鹿とその息子が殺されたため改革は中断され、旧に復してしまいました(T_T)
 
その事業を引き継ぎ完成させようとしたのが、アメノタリシヒコのもう一人の孫であった大海人皇子(天武天皇)と高市皇子・草壁皇子・大津皇子らの息子たちだったのですが、天武天皇の死去後不比等とその子孫の藤原氏によって、大津皇子・草壁皇子・高市皇子をはじめとする天武天皇の子孫たちは、686775年の間に皇位継承権を持つ者が朝廷から一人もいなくなるまであの手この手で次々に謀殺されたのです(T_T) (T_T) (T_T)
 
今回大変な被害を受けた岡山の真備町は↑の吉備真備(きびのまきび)の出身地なのですよね。私はずっと「まきびちょう」だと思っていたのですが、今度の水害のニュースで「まびちょう」であることを初めて知りました。
 
崇神天皇の子孫(直系ではなく外孫の子孫のようですが)の天智天皇が、応神天皇の子孫の入鹿(石川麻呂)とその息子を殺して王位に就いたのが『日本書紀』が645年の「大化の改新」と騙った(実際は649年)のクーデターで、天智天皇の死去後、その息子の大友皇子から高向王・倉麻呂(=蝦夷)の子で石川麻呂(=入鹿)の異母弟だった大海人皇子(=漢皇子)が王位を取り戻したのが「壬申の乱」とされているクーデターなのですが、クーデターを成功させるには、多くの兵と武器と多額の費用が必要ですよね。
 
短期間で兵や武器を集めることなどできませんから、『日本書紀』が記したような「病床の天智天皇の要請を辞退してその場で出家し、吉野に隠棲した大海皇人皇子がにわかに挙兵した」というのも作り話でしょう。京都市山科区に墓(御廟野古墳)が造られた天智天皇は、近江で病没したのではなく、山科で亡くなったようですし。
 
短期間で勝利した大海人皇子のクーデターは、時間をかけて密かに綿密に準備されていたのだろうと考えていたのですが、それにしても大量の兵や武器はだれがどうやって集めたのだろう?そのための費用はどうしたのだろう?と疑問に思っていました。
 
NHKの「歴史秘話ヒストリア」では、わずかな供と吉野を出た大海人皇子に、天からアマテラスが姿を現して勝たせてくれたという荒唐無稽であり得ないオハナシになっていました。多分それが『記紀』を信奉する学者さんたちの共通認識なのでしょうけれど、カミサマが実際に兵や武器や兵糧を用意してくれたりするはずはありませんよね~(^_-)
 
「だから、僕は歴史家には呆れ返るのさ。彼らときたら、一つの事態の納得性ということに関して何にも考えてみようとしないらしい。」
 
 
ところで昨日の新聞に「異常気象、世界で」という記事があったのですが、アルジェリアのワルグラでは今年気温が51度、カリフォルニアのデスバレーでは52度を記録し、カナダ東部のケベック州では熱波で死者がでたのにニューファンドランドとノバスコシアでは季節はずれの雪が降り、ハリファクスでは氷点下1度になったのだそうです。どうなっているのでしょうね???
 
豪雨が続いた日本では、2015年の東日本の豪雨と水害は「50年に一度」の災害と言われたのですが、50年に一度どころか、このところ毎年のように豪雨による大規模な土砂崩れや大水害が起きていますよね。

さまざまな異常事態が常態化してきているようです<(_ _)>
 
 


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