「金印・志賀島・阿曇族」46 宮地嶽古墳34 『記紀』は「ウソばっか」4
2018.7.24 「金印・志賀島・阿曇族」46 宮地嶽古墳34 『記紀』は「ウソばっか」4 天皇の宮や朝廷があったのであれば広大な敷地だったはずで、その周辺には重臣たちの邸宅もあったはずですが、2010年に錦織遺跡の近くまで行ってみた時、道や周辺にはそのような雰囲気は全くなかったので、ここには朝廷や都はなかったのではないか?と思ったのですが、大津宮をめぐっては長年論争があったのだそうですね。...
View Article金印・志賀島・阿曇族」47 宮地嶽古墳35 『記紀』は「ウソばっか」5
2018.7.25 「金印・志賀島・阿曇族」47 宮地嶽古墳35 『記紀』は「ウソばっか」5 大津宮跡だとされる錦織周辺は、都があったところだとは思えませんでしたが、それではなぜここに「大津京」があったと考えられるようになったのでしょうね?...
View Article「金印・志賀島・阿曇族」48 宮地嶽古墳36 『記紀』は「ウソばっか」6
2018.7.26 「金印・志賀島・阿曇族」48 宮地嶽古墳36 『記紀』は「ウソばっか」6 三井寺の辺りは大友氏の領地だったようですが、この時代に領地を持ち、氏寺を造っていたのですから、大友氏は王族か貴族だったのでしょうね。カバネは「臣(おみ)」ではなく「村主(すぐり)」だったようですから、崇神系王族ではなく貴族(豪族)だったのでしょうか。...
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2018.7.28 「金印・志賀島・阿曇族」50 宮地嶽古墳38 『記紀』は「ウソばっか」8 中大兄がクーデターで大王・入鹿を倒した乙巳の変(本当は645年ではなく649年ですから「己酉の変」)では中大兄の義父の大友氏が、大海人皇子が大友皇子を倒した壬申の乱では大友皇子側は皇子の祖父の大友氏が、大海人皇子側は皇子の義父の宗像氏と海人族が兵力の中心だったのではないでしょうか。...
View Article「金印・志賀島・阿曇族」51 宮地嶽古墳39 『記紀』は「ウソばっか」9
2018.7.29 「金印・志賀島・阿曇族」51 宮地嶽古墳39 『記紀』は「ウソばっか」9 王族や貴族は、王位に近づくために競って娘たちを後宮に送り込みましたから、王(天皇)には大勢の妻がいたわけですが、それらの妻一人一人の背後にはそれぞれ別の、王の血を引く孫を得ようとしていた王族や貴族がいたのです。...
View Article「金印・志賀島・阿曇族」52 宮地嶽古墳40 『記紀』は「ウソばっか」10
2018.7.30 「金印・志賀島・阿曇族」52 宮地嶽古墳40 『記紀』は「ウソばっか」10...
View Article「金印・志賀島・阿曇族」53 宮地嶽古墳41 『記紀』は「ウソばっか」11
2018.7.31 「金印・志賀島・阿曇族」53 宮地嶽古墳41 『記紀』は「ウソばっか」11 天智天皇には本当に皇后や妃はいなかったのだろうかと疑問に思って調べてみたのですが、資料ではいずれも皇后は架空の人物である「倭姫」とされていて、妃はいなかったようです。...
View Article「金印・志賀島・阿曇族」54 宮地嶽古墳42 『記紀』は「ウソばっか」12
2018.8.1 「金印・志賀島・阿曇族」54 宮地嶽古墳42 『記紀』は「ウソばっか」12...
View Article「金印・志賀島・阿曇族」55 宮地嶽古墳43 『記紀』は「ウソばっか」13
2018.8.2 「金印・志賀島・阿曇族」55 宮地嶽古墳43 『記紀』は「ウソばっか」13 「血筋だけが正当性の根拠である」という絶対的な価値観をひっくり返したのが、出自ではなく実力で支配者となる「下剋上」です。...
View Article「金印・志賀島・阿曇族」56 宮地嶽古墳44 『記紀』は「ウソばっか」14
2018.8.3 「金印・志賀島・阿曇族」56 宮地嶽古墳44 『記紀』は「ウソばっか」14 なぜ韓国歴史ドラマを見ていたら古代史の謎が解けたのかというと、天津族は弥生時代に朝鮮半島から渡来してきた人々で、朝鮮半島でのやり方をそっくり持ち込んでいたからです(^o^)。学者さんたちは、「日本人」は固有の民族で、天津族は天からやってきたカミサマの子孫だと信じ切っているようですが。...
View Article「金印・志賀島・阿曇族」57 宮地嶽古墳45 『記紀』は「ウソばっか」15
2018.8.5 「金印・志賀島・阿曇族」57 宮地嶽古墳45 『記紀』は「ウソばっか」15 韓国歴史ドラマと『源氏物語』と『記紀』の描いていることは同じだと私は思ったのですが、大きく違うのは、韓国歴史ドラマや『源氏物語』はニンゲンの物語として描いているのに対して、『記紀』はカミサマとその子孫の話として書いているというところでしょうか。...
View Article「金印・志賀島・阿曇族」58 宮地嶽古墳46 『記紀』は「ウソばっか」16
2018.8.6 「金印・志賀島・阿曇族」58 宮地嶽古墳46 『記紀』は「ウソばっか」16 「天孫降臨」もウソですが、大国主に譲らせた葦原中国が島根にあったというのも『記紀』の大ウソで、大国主のいた葦原中国とは島根ではなく奈良のことなのですが、この説明は「古代の地形から『記紀』の謎を解く」の第11章「葦原中国を推理する」をご参照ください。...
View Article「金印・志賀島・阿曇族」59 宮地嶽古墳47 『記紀』は「ウソばっか」17
2018.8.7 「金印・志賀島・阿曇族」59 宮地嶽古墳47 『記紀』は「ウソばっか」17...
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2018.8.8 「金印・志賀島・阿曇族」59 宮地嶽古墳47 『記紀』は「ウソばっか」17...
View Article「金印・志賀島・阿曇族」60 宮地嶽古墳48 『記紀』は「ウソばっか」18
2018.8.9 「金印・志賀島・阿曇族」60 宮地嶽古墳48 『記紀』は「ウソばっか」18...
View Article「金印・志賀島・阿曇族」61 宮地嶽古墳50 『記紀』は「ウソばっか」20
2018.8.10 「金印・志賀島・阿曇族」62 宮地嶽古墳50 『記紀』は「ウソばっか」20...
View Article「金印・志賀島・阿曇族」63 宮地嶽古墳51 『記紀』は「ウソばっか」21
2018.8.11 「金印・志賀島・阿曇族」63 宮地嶽古墳51 『記紀』は「ウソばっか」21 『諸国一之宮』によれば、ウマシマジを祀る石見国一之宮の物部神社には、「ウマシマジは(神武の東征の時)祖父・ナガスネヒコを殺害して軍勢を率いて天津族に帰順し、その功績によって天皇から「ふつみたまのつるぎ」の神剣を与えられた」と伝えられているようです。...
View Article「金印・志賀島・阿曇族」64 宮地嶽古墳52 『記紀』は「ウソばっか」22
2018.8.12 「金印・志賀島・阿曇族」64 宮地嶽古墳52 『記紀』は「ウソばっか」22...
View Article「金印・志賀島・阿曇族」65 宮地嶽古墳53 『記紀』は「ウソばっか」23
2018.8.13 「金印・志賀島・阿曇族」65 宮地嶽古墳53 『記紀』は「ウソばっか」23 日本の八百万(やおよろず)のカミサマたちは、『記紀』が創った架空のアマテラスやヤマトタケルなどの一部を除いて大部分はニンゲンであって、古代の神社は子孫が先祖を祀るための祖廟として造られていたのです。...
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