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「金印・志賀島・阿曇族」54 宮地嶽古墳42 『記紀』は「ウソばっか」12

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2018.8.1 「金印・志賀島・阿曇族」54 宮地嶽古墳42 『記紀』は「ウソばっか」12

 
背景の違う異母姉妹ならともかく、実の姉妹が同じ人に嫁ぐなどということが本当にあったのだろうか?と疑問に思ったのですが、考えてみるとこのテのオハナシは「兄比売(えひめ)・弟比売(おとひめ)の姉妹を娶った」というような形で『古事記』にはよく出てきていました。出てくるたびに私は違和感を持っていたのですが<(_ _)>
 
たとえば、天孫ニニギが降臨してコノハナサクヤヒメとの結婚を望んだ時、ヒメの父のオオヤマツミノカミは姉のイワナガヒメを付けてたてまつったとか、ウガヤフキアエズノミコトを生んだトヨタマヒメがワニになった姿を見られたことを恥じて実家に帰ってしまった後、代わりに妹のタマヨリヒメがやってきたとか、景行天皇は美濃国に兄比売・弟比売という美しい娘がいると聞いて召し上げようとしたが、迎えに行った息子の大碓命が二人とも自分のものにしてしまったとか・・・・
 
ワニになって出産したなどというのは、もちろん『古事記』の作り話なのですが(^o^)、『記紀』信者の学者さんたちは、大真面目に「ワニとはサメのことである」としているようです。でも本当にワニはサメのことなのでしょうか???
 
ヤマトタケルのオハナシでも、オトタチバナヒメは弟橘媛(弟橘比売)と記されていますから、これも弟橘媛は兄橘比売とセットでヤマトタケルに嫁いだという設定になっているのかもしれません(^o^)
 
作り話にも頻繁に出てくるということは、当時は異母姉妹や同母の姉妹が同じ人に嫁ぐということがごく普通に行われていたということなのでしょうね。実際に石川麻呂の娘の越智娘・姪娘の姉妹は天智天皇に嫁ぎ、天智天皇の娘の大田皇女と讃良皇女の同母の姉妹と異母姉妹の新田部皇女は天武天皇に嫁いでいたようですから。
 
韓国歴史ドラマにも、王の子を産むことができない娘に業を煮やした父親が自分の姪(娘の従妹)を王のもとに送り込むというような場面がありましたが、後宮の制度や一族の娘が複数で一人の王に嫁ぐという習慣(?)も朝鮮半島から持ち込まれたやり方だったようです。「自分の一族の娘なら誰でもいいから、とにかく王の血を引く男児が欲しい」ということだったようですが<(_ _)>、それほどに血筋というものが偏重され絶対的な価値を持っていたということなのでしょう。
 
ということは、「その血筋が王の直系でなければ正当なものとは絶対に認めない」ということでもあったのではないでしょうか。

中大兄皇子がクーデターを起こした649年から668年まで20年近くもの間即位できなかったとされているのはそのためで、その間の空白を埋めるために「叔父が即位した」とか「母親が重祚した」とかというような不自然なオハナシを作らなければならなかったということなのかもしれませんね(^_-)





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