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「金印・志賀島・阿曇族」60 宮地嶽古墳48 『記紀』は「ウソばっか」18 

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2018.8.9 「金印・志賀島・阿曇族」60 宮地嶽古墳48 『記紀』は「ウソばっか」18 

 
「事実は小説より奇なり」と言いますが、日本の古代にも『記紀』が記したオハナシのような無血の平和的な「国譲り」などはなく、実際は戦いの連続であって他の国々に負けず劣らずドラマティックだったようですから、ウソばっかの『記紀』の神話や固定観念にしがみつくことさえ止めれば、小説でもドラマでも韓国歴史ドラマに劣らない面白いものが作れるだろうと思うのですけれどね(^o^)
 
日本の古代を舞台にしたものはまだあまりないようですし、小説やドラマであれば、歴史の結果さえ変えなければ、その間を繋ぐのは自由な想像や創作のフィクションでいいようですから、小説家や脚本家の腕の見せ所なのでは(^_-)
 
でも日本では、「神代から続いている」ことになっている天皇家が健在ですし、ウソの「神話」を死守しようとしている神社本庁や、日本会議や神道政治議員連盟などに属する国会議員や、「新しい教科書を作る会」の会員や、それに忖度する官僚らが目を光らせて圧力をかけているようですから、「神話」や『記紀』を否定するようなドラマは作れないでしょうね<(_ _)>
 
 
宮地嶽古墳から出土した黄金の大刀が全長3mで比類なく長大だと記されているのを見て、そんな長いものを振り回せたはずはないから、権威や権力の象徴だったのでは?思ったのですが、2009年に鹿島神宮の宝物館で3mの刀を見た時にも同じことを考えたこともついでに思い出したのですが、古代には権力の象徴として3mもある刀を作ることが流行っていたのでしょうか(^o^)
 
宮地嶽古墳の3mの大刀
イメージ 1


鹿島神宮の3mの大刀 
イメージ 2

イメージ 3

でもその時、「ふつのみたまのつるぎ」は石上神宮の神宝のはずなのに、なぜ鹿島にあるのだろう?と疑問に思い、説明を見てもよくわからなかったので<(_ _)>、『鹿島神宮誌』を買ってきたのですが、これを読んでもやはりよくわからなかったのです。
 
神宮誌には「鹿島神宮は2660年以上の歴史を持つ古社である」とありましたが、これは『記紀』の「神武の東征」のウソに基づいた解釈で事実ではありません。鎌足の祖先の三笠神を祀っていたこの地に鹿島神宮を造ってタケミカヅチを祀ったのは天津族ですが、天津族が東征をしてきたのは4世紀後半なのですから、1000年もサバを読んでいるのです(^o^)
 
このことについては「古代の地形から『記紀』の謎を解く」の第5章「藤原氏の祖廟・春日大社と鹿島神宮を推理する」をご参照ください。
 
神宮誌によれば、この3mもある「ふつのみたまのつるぎは、神武天皇を守護したタケミカヅチの霊剣で、鹿島神宮にあったものが崇神天皇の時代に石上神宮に奉斎されて鹿島に戻ってこなかったので、改めて制作したのだということのようなのですが、それでは現在石上神宮の御神体になっている剣は、もともとは鹿島神宮の神宝だったということなのでしょうか???
 
台風13号がやっと去ったばかりだというのに、もう14号が発生しているのだそうです。これまで7月までの台風発生の平均は7.7個だったそうですが、今年は7月までにすでに12個も台風が発生しているのですよね<(_ _)>。私はまた「杞の国の人」になってしまいそうです。
 
 
 
 

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