2018.8.8 「金印・志賀島・阿曇族」59 宮地嶽古墳47 『記紀』は「ウソばっか」17
「鹿島使」や朝廷による社殿造営は、朝廷が逼迫した中世には途絶えていたそうですが、近年は6年に一度の勅使の奉幣があるということで、2009年に鹿島神宮に行ってみた時には、平成14年の秋の大祭の時の幣帛が宝物館に展示されていました。
この天皇からの勅使の奉幣がいつ復活したのかは分かりませんが、多分明治維新以降で、復活させたのは明治維新で権力を握った神祇官たちでしょう。この神祇官たちの子孫が今の神社本庁になっているようで、現在は全国の神社本庁包括下の神社の例祭には神社本庁から「幣帛料」として金銭が贈られているそうですが、6年ごとの奉幣は少なくとも平成14年までは続いていたわけですね。
現在の社殿は1619年に徳川秀忠によって造営されたものだそうです。
鹿島神宮・拝殿
本殿
ところでまた混乱しそうになってしまったのですが<(_ _)>、鹿島神宮に行った9年は西暦の2009年で奉幣のあった14年は平成の14年であり、西暦では2002年なのですよね。外国人でなくても分かりにくい「元号」は早く廃するか、どうしても使いたい人だけが使えばいいようにしてほしいものです。
もしどうしても元号でなければならない理由があるのであれば、ぜひ納得できるように説明してほしいものですが、誰も説明などできないでしょうね。「元号でなければだめ」などというのは、何も考えずに明治政府の権威主義の前例に倣っているだけの、使う人のことなど全く念頭にない「お役所仕事」のようですから<(_ _)>。
少し考えてみれば、不便だよね ということで少しずつ改善されつつはあるようですが(^o^)。
今気が付いたのですが、明治以降の天皇の名前は、諡号ではなく元号だったのですね。これも「天皇一代につき元号を一つ定める」という制度を始めた明治政府が決めたことなのでしょうか?明治以前の天皇の名は元号とは全く関係がないようですから。何の説明もなく、なんだかよくわからないままに「そういうものだ」と押し付けられてきたことって本当に多いですね~<(_ _)>。
『記紀』が記しているのは「ウソばっか」のカミサマや歴史で、実際の歴史は「天孫降臨」や「国譲り」のようなロマンやファンタジーからは程遠い、権威や権力や金銭が絡んだ最も現実的で即物的なものだったようで<(_ _)>、日本の建国もカミサマとは全く関係なく、世界の他の国々の建国と同じような経過を辿っていたのです。
ジョセフィン・テイが『時の娘』に記していた「歴史の真実は会計簿にある」というのはまさに至言であって、現実はどこの国でも同じだったようです。
日本の古代史が謎だらけになってしまっているのは、『記紀』信者の学者さんたちが、非論理的な『記紀』の作り話を検証もせずに事実だと信じてきたからなのですよね。
カリフォルニアの山火事では、これまでに東京都の半分の面積に当たる1150㎢が焼けたのだそうですが、広範囲で木が無くなった土地は、ますます乾燥して燃えやすくなるのでしょうね~(T_T)。