2018.8.7 「金印・志賀島・阿曇族」59 宮地嶽古墳47 『記紀』は「ウソばっか」17
「別雷神社は雷様を祀る神社」とされているようですが、これは学者さんたちの「雷を祀っていると考えてよい」という恣意的な誤った解釈です。
神社とは先祖を祀るために子孫が作った祖廟なのですから、雷を祀るために神社が造られたはずはありませんし(^o^)、上賀茂(賀茂別雷)神社も下鴨神社も式内社(名神大社)であって「山城国一之宮」なのですから、祭神は「雷」ではなく天津族の一等功臣となった賀茂氏の祖でしょう。
群馬県には「火雷神社」や「雷電神社」など「雷」の付く神社がいくつもあるので、学者さんたちは「群馬県に雷を祀る神社が多いのは、雷が多いからだ」としているようですが、データを調べてみたら群馬県の雷発生頻度は全国の平均並みで特に高くはありませんでした(^o^)。歴史学者さんって、本当に何の検証も確認もせずに先人の言ったことや書いたことを鵜呑みにしているのですね~<(_ _)><(_ _)><(_ _)>。
板倉・雷電神社
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玉村・火雷神社
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別雷命と火雷命は同一人物で、どちらも事代主の息子のことのようです。
この別雷と鴨大神を祀る上賀茂(賀茂別雷)神社と下鴨神社のお祭りが京都の三大祭りの一つである「葵祭」で、この祭りの正式名称は「賀茂祭」なのだそうです。
けれどこれは、もともとはいわゆる「お祭り」ではなく、天皇の勅使が上賀茂神社と下鴨神社に奉幣に行く行列であって、賀茂氏と朝廷の間の行事だったのだそうですが、その奉幣使の行列が華やかだったので、貴族たちがこぞって見物に訪れる「貴族の祭」になったのだそうです。
『源氏物語』では、この行列を見物するための場所取りの争いが原因で光源氏の正妻の葵の上が六条御息所の生霊に取り殺されることになったのですよね。この時の勅使を務めたのが天皇の第三皇子として生まれた美男で名高い光源氏だったので見物人が殺到し、正妻の葵の上と愛人の六条御息所も見物に出たわけですが、この奉幣の勅使は身分の高い人が務めていたのですね。
でも、身分の高い貴族が天皇の勅使として美々しい行列を作って、実体のない「雷様」に奉幣しに行くはずはありませんよね~。これは、お世話になった方への盆暮れのあいさつと贈り物のようなもので、王位に就く時に大変お世話になった「一等功臣の事代主(鴨大神)」を祀る賀茂氏への天皇家からの毎年のあいさつと贈り物だったのではないでしょうか(^_-)。それにしても、長い行列ができて大勢の見物人が出るほどのたくさんの贈り物があったようですね(^o^)。
毎年の天皇からの奉幣の勅使と言えば、「乙巳の変」で中大兄を天皇にするのに一役買って一等功臣となった鎌足の祖廟である鹿島神宮にも、毎年「鹿島使(かしまづかい)」と呼ばれる勅使が朝廷から奉幣に来ていたそうですし、20年ごとの社殿の建て替えも朝廷の手によって行われていたのだそうです。乙巳の変の後には、天智天皇から多くの土地が「神領」として鹿島神宮に与えられていたそうですから、一等功臣への論功行賞って本当に手厚かったのですね。
ところで、7.29にM6.4の大地震があったばかりのインドネシア・ロンボク島で、昨日またM6.9の大地震があって大きな被害が出たそうです(T_T)。最近の災害は規模が大きいうえに、地震も台風も、被害を受けた同じ場所に追い打ちをかけるように次から次へとやってくるのですよね(T_T)(T_T)(T_T)。
「あなたは杞の国の人なのか」と言われてしまうのですが、西之島も噴火を再開しそうですし、富士山もいつ噴火してもおかしくない」状態なのだそうです<(_ _)>。これらが杞憂であればいいのですけれど・・・・