2018.8.6 「金印・志賀島・阿曇族」58 宮地嶽古墳46 『記紀』は「ウソばっか」16
「天孫降臨」もウソですが、大国主に譲らせた葦原中国が島根にあったというのも『記紀』の大ウソで、大国主のいた葦原中国とは島根ではなく奈良のことなのですが、この説明は「古代の地形から『記紀』の謎を解く」の第11章「葦原中国を推理する」をご参照ください。
『記紀』はニニギの曾孫の神武がヤマト(奈良)を征服し、神武は紀元前660年に橿原で即位したと記していますが、これも作り話です。もし神代にニニギがこの国を譲り受けていたなら、ニニギの曾孫の神武は戦う必要などなかったはずですしね(^_-)。
そして、4世紀後半に葦原中国を攻めるために天津族が実際にやってきたのは、崇神天皇の伯父(=大彦命=三島溝咋耳命)の娘を妻にしていた事代主の宮にほど近い葛城の「高天原」であり、娘のイスズヒメを崇神天皇(紀元前の神武天皇ではありません)に嫁がせた事代主は、ヤタガラスとなって道案内をし、天津族の手引きをしたのです。
葛城の御所市にある「史跡・高天原」
天孫の降臨地だという高天彦神社
そして、大国主・トミノナガスネヒコを殺したのは、事代主の妹の下照姫と天津族の天稚彦との間に生まれていた孫のウマシマジノミコトで、高鴨神社の由緒が記している「祭神のアジスキタカヒコネ・下照姫・天稚彦の三柱はともに国譲りに際してご活躍された」という「活躍」の内容とはそういうことなのです。
こうしてヤマト征服の一等功臣となり、娘を皇后にして崇神天皇の義父になった「事代主命」は、皇祖神の一人として今も宮中に祀られていますし、カモの地名や鴨大神を祀るカモ(鴨・加茂・賀茂)神社は奈良の高鴨神社や京都の下鴨神社を始めとして全国に山ほどありますから、鴨一族は各地に多くの領地を持っていたということなのでしょうね。
高鴨神社・下鴨神社の祭神の鴨大神とは、大国主・トミノナガスネヒコの息子で葛城に住んでいたアジスキタカヒコネノミコト(事代主)のことであり、上賀茂神社に祀られている「賀茂別雷大神」とは、事代主の息子のことなのです。この息子も皇后イスズヒメの兄として大出世をし、大臣になっていたようです。
息苦しいような暑い日が続いていますが、熱波と乾燥でカリフォルニアの山火事は十数ヵ所に増え、まだ収まる気配がないそうです。日本では西日本の豪雨が去ったと思ったら異常な暑さになり、今度は東北の青森や山形が記録的豪雨になっていて(T_T)、台風12号がやっと去ったと思ったらもう台風13号が接近してきているのですよね<(_ _)>。
「ハルマゲドン」は何事もなく過ぎた1999年の事ではなく、まるで大規模な山火事の劫火に焼かれ、降り続く豪雨で水浸しになり、頻発する噴火の溶岩流に追われ、異常な熱波や大地震、大津波、スーパー台風、落雷、竜巻、突風などが次々に襲ってくる昨今のことのようですね(T_T) (T_T) (T_T)。
オウムの事件は一応終結したということになりましたが、まだ信者は多数残っていますし、この異常気象に乗じてまた新手の新興宗教や教祖がわんさと現れるかもしれません<(_ _)>。
現在は新興宗教の教祖より、独裁的な「ドン」や民主主義に見せかけた独裁政権が次から次へと現れているようですが<(_ _)>。