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「金印・志賀島・阿曇族」61 宮地嶽古墳50 『記紀』は「ウソばっか」20

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2018.8.10 「金印・志賀島・阿曇族」62 宮地嶽古墳50 『記紀』は「ウソばっか」20
 
『鹿島神宮誌』によれば、「元々は鹿島にあった韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)が石上神宮に安置されてしまって鹿島に戻ってこなかったので、現在宝物館にある3mの剣が二代目として作られた」ということのようなので、それでは「石上神宮の御神体になっているという剣は3mもある直刀なのだろうか?」と思って「ふつのみたまのつるぎ」を調べてみました。
 
wikipediaによれば「神武の治世にあっては、物部氏、穂積氏らの祖と言われる宇摩志麻治命(うましまじのみこと)が宮中で祭った」とのことなのですが、これは完全なウソですね(^o^)「紀元前の神武の治世」というのは『記紀』の作り話ですし、ウマシマジは最後の大国主・ナガスネヒコの孫ですから4世紀末~5世紀の人であって「紀元前の神武の時代」の人ではありませんし。
 
その後、「崇神天皇の代に物部氏の伊香色雄命(いかがしこおのみこと)の手によって石上神宮に移されて御神体となった」のだそうですが、この名前からしていかがわしそうな人は誰だろう?と調べてみると、伊香色謎命(いかがしこめのみこと)の兄だそうで、伊香色謎命は孝元天皇の妃で開化天皇皇后だったのだそうです。
 
もしそれが本当なら、開化天皇は父親の妻を自分の皇后にしたことになるわけですからそれは変だと思うのですが、この手のオハナシは『記紀』にはいくつか出てくるようなので、古代にはよくあったことなのでしょうか?それとも『古事記』は1000年水増しした部分に名前や時代を変えて同じ話を何度も使っていますから、これも「作り話の使い回し」なのでしょうか?
 
『古事記』を作った人たちはクソやホトというような言葉や、語呂合わせなどの言葉遊びが大好きだったようですから、「伊香色謎(いかがしこめ)」って「いかがわしい醜女」かもしれないと思うのですが(^_-)
 
例えば『古事記』は、「神武天皇が亡くなった後、庶子のタギシミミノミコト神武の皇后のイスケヨリヒメを妻にした」と記しているのですが、これは開化天皇と同じように父の妻だった人を息子が自分の妻にしたということですよね。
 
でも、仮にも一国の皇后だった人を、義理の息子が自分の妻にするなどとは不自然すぎると思いませんか?しかもこの時イスケヨリヒメの息子たちは、もう三男がこの後天皇になったくらいの年になっていたのですし。
 
『古事記』は、この庶子のタギシミミノミコトが、自分の息子たちを殺して天皇になろうとしていることを知ったイスケヨリヒメがそれを息子たちに知らせたため、息子たちが先手を打って三男の神沼河耳命が異母兄のタギシミミノミコトを殺して二代目の綏靖天皇になったと記しています。
 
これは、「国譲り」どころか、実際は自分が王(天皇)になるためには異母兄弟間でさえ殺し合いをしていたということを記しているわけですから「問うに落ちず語るに落ちる」で、作り話の中で、一方では戦いがあったことさえ隠しながら、一方ではたとえ兄弟であっても殺すか殺されるかの熾烈な王位争いをしていた当時の状況を記してしまっているのです。
 
神武の東征はウソで、紀元前の孝元天皇も開化天皇も架空の人物ですから、伊香色雄命と伊香色謎命も架空の人物です。天津族がヤマトにやってきたのは4世紀後半で、紀元前には天津族の王朝はまだなく天皇もいなかったのですから。それなら伊香色雄命が「ふつのみたまのつるぎ」を石上神宮に移したというのもウソだということになりますね(^o^)
 
 
 

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