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「金印・志賀島・阿曇族」48 宮地嶽古墳36 『記紀』は「ウソばっか」6 

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2018.7.26 「金印・志賀島・阿曇族」48 宮地嶽古墳36 『記紀』は「ウソばっか」6 

 
三井寺の辺りは大友氏の領地だったようですが、この時代に領地を持ち、氏寺を造っていたのですから、大友氏は王族か貴族だったのでしょうね。カバネは「臣(おみ)」ではなく「村主(すぐり)」だったようですから、崇神系王族ではなく貴族(豪族)だったのでしょうか。
 
地図を見ると、天智天皇の御廟野古墳は三井寺や大津宮から67km の徒歩でも1時間半くらいの所にあるのですが、深い関係のない他人の領地に御廟野古墳のような大きな墓を造ることなどできなかったでしょうから、この辺りまで中大兄か大友氏の領地(食邑)だったということなのでしょう。
 
壬申の乱で大海人皇子の大きな戦力になったのが、大海人皇子の最初の妻で高市皇子の祖父だった宗像徳善と宗像氏をはじめとする海人族だったのと同じように、大友氏は中大兄の妻の父であり大友皇子の祖父で、乙巳の変や壬申の乱の時に中大兄や大友皇子の大きな戦力になっていたのかもしれません。律令制以前のこの時代の兵とは国家に属するものではなく、それぞれの王族や貴族といった支配階級の人たちの擁する私兵だったようですから。
 
皇子や皇女の名は本名が記してあるわけではありませんから、大海人皇子はその背景が海人族であること、大友皇子はその背景が大友氏であることを表しているのかもしれませんね。
 

そういえば2012年に大阪に行った時、寝屋川市の高宮神社の辺りの住所表示が「讃良」となっているのを見て、鸕野讚良皇女はこの辺りで生まれたのかもしれない、この辺りは太秦に近いから、ひょっとすると秦氏と関係があるのではないか?鸕野讚良皇女の母は蘇我石川麻呂(大王・入鹿)の娘の越智娘だから、越智娘の母が秦氏の出身だったのかもしれない。秦氏も応神天皇の時から応神系王族とはとても関係が深い氏族だったのだし・・・・と考えたことを思い出しました(^o^)


高宮神社
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高宮神社由緒
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江戸時代にはこの辺りは「讃良郡」だったようですが、現在は神社の辺りは高宮町、高宮町の南が讃良町になっていて讃良川という川も流れているようです。
 

皇子・皇女の名は、「高市皇子(たけちみこ」「大津皇子(おおつみこ)」「大伯皇女(おおくひめみこ)」のように、生まれた場所の地名で記されていることも多いようなので、鸕野讚良皇女は「讃良郡」で生まれたのではないかと考えたのですが、この人の名前は「さららひめみこ」ではなく、「うのさららひめみこ」なのですよね。この「鸕野」は何なのだろう?地名だとするとどこのことなのだろう?なぜ地名が二つ付けられているのだろう?という謎がまだ解けていなかったことを思い出しました<(_ _)>

 
 

東京では、昨日今日は殺人的猛暑からは解放されていますが、異常気象は世界的なもののようです。7.15には「グリーンランドの氷河“ヘルハイム・グレイシャー”から分離した全長6km、高さおよそ100mの巨大な氷山がグリーンランド西部に漂着し、氷山から海に崩れ落ちる巨大な氷の塊によって津波の危険性があることから、付近の住民が避難する事態になった」というニュースがありましたが、昨日は熱波の影響で、ギリシアで大規模な山火事が起きているというニュースがありましたし、豪雨の被害も日本だけではなくラオス、ベトナム、インドなどアジア全体ででているようですし(T_T)。モロッコでは最高気温43.4度、アルジェリアでは51.3度が記録されたそうです<(_ _)>。週末には暴風を伴う台風が日本に上陸しそうですし・・・・ 天変地異はまだまだ続くようです(T_T)。


イメージ 4


 
地球上のことは、気象も海も歴史も、一国だけのことではなくすべて繋がっているのです。
 
 

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