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「金印・志賀島・阿曇族」51 宮地嶽古墳39 『記紀』は「ウソばっか」9

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2018.7.29 「金印・志賀島・阿曇族」51 宮地嶽古墳39 『記紀』は「ウソばっか」9
 
王族や貴族は、王位に近づくために競って娘たちを後宮に送り込みましたから、王(天皇)には大勢の妻がいたわけですが、それらの妻一人一人の背後にはそれぞれ別の、王の血を引く孫を得ようとしていた王族や貴族がいたのです。
 
例えばWikipediaによれば、天武天皇には皇后が一人、妃が三人、夫人が三人、嬪が二人、宮人が一人と少なくても十人は妻がいたようですし、天智天皇には皇后が一人、夫人が三人、嬪が二人、采女が一人、宮人が二人と九人の妻がいたようです。子がいなかったという皇后の倭姫王は、その父の古人大兄皇子が架空の人物ですから、架空の人物ですが。
 
そして、後宮に送り込んだ娘に首尾よく男児が生まれても、その娘が大勢の妻たちの中から皇后(王妃)に選ばれなければその子は皇太子にはなれず、皇太子になれなければ天皇にはなれないのですから、何としても自分の娘を皇后にするためにあらゆる手をつくし、「そのあらゆる手」の中には他のお妃たちを讒言や呪詛したなどの冤罪を着せて降格させたり、宮廷から追い出したり、毒殺しまうことなども含まれていたようです<(_ _)>
 
韓国歴史ドラマにはそういうおぞましい場面がうんざりするほどよく出てきていたのですが、それはどこの国のどの王朝でも変わらなかったようです。『源氏物語』に描かれているのもそういうことですしね。
 
そういえば、2012年の大河ドラマ「平清盛」にも美福門院得子が待賢門院璋子を陥れるために、「呪詛をした」と告発する場面があったのですが、「日本でも韓国と同じようなことをしていたのだな~」と思ってみていたら、呪詛の証拠として持ち出してきた人形が、韓国歴史ドラマに出てきたものと同じだったので思わず笑ってしまったことがありました(^o^)

政敵を排除するために謀反の罪を着せる、皇后の座を争う相手を蹴落とすために呪詛をしたという罪を着せるというのは、常に使われるオーソドックスな手だったようで、みんな冤罪だということが分かっていたのでしょうけれど、大津皇子にしても有間皇子にしても井上皇后にしても、そのほかの大勢の藤原氏に殺された人達にしても、それが冤罪であることを証明する手立てはなかったのです(T_T)




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