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「金印・志賀島・阿曇族」41 宮地嶽古墳29 金錯銘・銀錯銘の剣

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2018.7.17 「金印・志賀島・阿曇族」41 宮地嶽古墳29 金錯銘・銀錯銘の剣

 
稲荷山古墳から出土した金錯銘鉄剣に刻まれていた「ワカタケル王」は、『記紀』信者の学者さんたちの言う「雄略天皇」ではなく、531年の辛亥の年にクーデター「辛亥の変」によって、崇神天皇の子孫の「継体・安閑・宣化」を倒して大和の磯城で即位した応神天皇の孫でアメノタリシヒコの祖父の欽明天皇なのですが、
 
応神―ウジノワキノイラツコ―欽明―用明―アメノタリシヒコ(=馬子=聖徳太子)
 
熊本の江田船山古墳から出土した銀錯銘鉄剣にも「ワカタケル王」の名が記されていたそうです。
 
ワカタケル王とは雄略天皇のことだと思い込んでいる学者さんたちは、この江田船山古墳の銀錯銘鉄剣も5世紀に造られたものだと決め込んでいるようですが、これも531571年の欽明天皇の時代に造られたものでしょう。そして、この鉄剣を作らせたのは、欽明天皇の時代にこの地方で起きた隼人族の反乱を平定した天津族の王族だったのではないでしょうか。
 
『記紀』は6世紀の欽明天皇の時代の西国平定や東国平定を、架空の景行天皇息子のヤマトタケルの諸国平定のオハナシに仕立てて千年水増しした歴史の空白を埋めたようです。

ヤマトタケルのクマソタケル征伐のオハナシは、実際は6世紀半ばの江田船山古墳の被葬者である王族の先住民・隼人族の反乱の平定を、イズモタケル征伐のオハナシは出雲族の反乱の平定を、東国平定のオハナシはさきたまの稲荷山古墳の被葬者である王族のヲワケ臣の「武蔵国造の乱」の平定をアレンジして創ったオハナシなのではないでしょうか。景行天皇の時代とされる12世紀は大国主の時代でまだ天津族の大和政権は成立しておらず、景行天皇もその息子のヤマトタケルも架空の人物なのですから(^o^)

 
宮内省はこの架空の人物である景行天皇やヤマトタケルにも墓を治定してしまっていますけれどね(^_-)
 
景行天皇のお墓ってどこだったっけ?と調べてみたら、奈良県天理市渋谷町にある渋谷向山古墳を景行天皇に治定しているそうです。でも、『古事記』は景行天皇を12世紀の人だとしているのに、この古墳は4世紀の後半に築造されたもののようですよ(^_-)。


ヤマトタケルのお墓は2012年の大阪探訪の折にたまたま通ったのですが、こちらは5世紀後半に築造されたもののようです。
 
ヤマトタケルの白鳥陵 
イメージ 1



イメージ 2


 
宮内省の天皇陵の治定で正しいのは、天智天皇陵とされている御廟野古墳と、天武・持統陵とされている野口王墓古墳の二つだけで、他はみなウソ(もし意図的なウソではないのであれば明らかな間違い)のようです<(_ _)>
 
古市古墳群・百舌鳥古墳群は「世界遺産」に値するものだとは思いますが、ウソ八百の『記紀』の記述の他には何の根拠もなく、『記紀』が記した天皇の時代と、その天皇の陵墓だとされている古墳の考古学的な所見とが全く合っていないことが分かっているのに、そのウソの治定をそのままにして世界遺産登録を目指すというのはどうなのでしょうね?
 
矛盾について質問が出た時、歴史学者さんたちが返答も論理的な説明もできないとしたらとても恥ずかしいことだし、もし外国から指摘されるまで矛盾していることにさえ気が付いていなかったとしたら、もっと恥ずかしいことだと私は思うのですが、つじつま合わせばかりしている学者さんたちはそうは思わないようです<(_ _)>。
 
 
豪雨が収まったと思ったら、今度は半端ない猛暑が続いています(T_T)。キラウェアの噴火もまだ収まっていないようですが、溶岩台地を歩いたり、溶岩湖を見学したり、ヘリで溶岩流を鑑賞したりする溶岩ツアーが人気なのだそうです。まあ、キラウェアの場合は突然に爆発的な噴火を起こすというタイプの火山ではないようですが、それにしても・・・・・
 
西之島が再び噴火を始めたことからキラウェアは今どうなっているのかな?と考えていたら、先ほど溶岩流見物の観光船で、海に流れ込んだ溶岩の爆発によるけが人が出たというニュースがありました<(_ _)>
 

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