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「金印・志賀島・阿曇族」44 宮地嶽古墳32 『記紀』は「ウソばっか」

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2018.7.21 「金印・志賀島・阿曇族」44 宮地嶽古墳32 『記紀』は「ウソばっか」

 
それにしても『記紀』は、応神系王族を隠すためによくもウソ八百のオハナシを並べ立てたものです<(_ _)>
 
5世紀の応神天皇を、2世紀の架空の仲哀天皇と神功皇后の子だということにし、その息子のウジノワキノイラツコは架空の仁徳天皇に位を譲るために自害してしまったことにして応神天皇の事績は仁徳天皇の事績だったことにし、ウジノワキノイラツコの子の欽明天皇は継体天皇の子で安閑・宣化の弟だったことにし、欽明の時代の平定事業は架空の景行天皇の息子のヤマトタケルの事業だったことにし、欽明の子の用明は架空の敏達天皇の弟だったことにしたうえ、即位して2年で死んでしまったことにし、用明の子のアメノタリシヒコは大臣の蘇我馬子だったことにし、アメノタリシヒコの子は蘇我蝦夷、孫は蘇我入鹿だったことにし、もう一人の孫は架空の舒明天皇と架空の皇極天皇の子で、中大兄(天智天皇)の弟の大海人皇子だったということにしてオハナシを作ったのです。
 
こんなに「ウソばっか」ではつじつまなど合うわけがありませんから『古事記』は矛盾だらけのオハナシになってしまっているのですが、歴史学者さんたちはこれまで「○○は××だとすればよい」などとして部分ごとに無理やりつじつまを合わせ、どうやってもつじつまを合わせることができないと「謎である」として片付けてきたのですよね<(_ _)>
 
聖徳太子も架空の人物です。私が聖徳太子に興味を持ったのは漫画の「日出処の天子」を読んで、聖徳太子は本当に超能力者だったのだろうか?と疑問に思い、本当はどんな人だったのか知りたいと思ったからだったのですが(^o^)、調べれば調べるほどその実像は分からなくなるばかりだったのです(T_T)
 
そこで聖徳太子の父の用明天皇を調べてみると、欽明天皇の息子で敏達天皇の弟であり、敏達天皇の死去後に即位したもののすぐに死んでしまったということ以外何も分かりません<(_ _)>。即位前の名称は「大兄皇子」だったというのですが、これは個人の名前ではありませんしね~。
 
欽明天皇の跡を継いで天皇になったのは敏達天皇なのですから、欽明天皇の大兄皇子は敏達天皇だったはずですし、敏達天皇には竹田皇子という息子がいたのに弟が大兄皇子になるはずはありませんし<(_ _)>。用明天皇は、即位する前いったいどの天皇の大兄皇子だったのだろう???
 
そうこうするうちに聖徳太子は架空の人物だということが分かってきたので、影の薄い用明天皇は架空の聖徳太子の父として創られた架空の人物なのかもしれないと考えたのですが、よくよく因果を辿ってみたら、用明天皇は架空の聖徳太子の架空の父ではなく、実在のアメノタリシヒコの父であって、欽明天皇の「大兄皇子」だったことが分かってきました(^o^)
 
用明天皇ではなく敏達天皇の方が架空の天皇であり、敏達天皇は欽明天皇の息子でも用明天皇の兄でもなく、敏達天皇という天皇は存在しなかったのです。敏達天皇が在位したとされている572585年は、実際は欽明天皇の息子の用明天皇が大王だった期間なのですから(^o^)
 
 

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