板付遺跡9 金隈(かねのくま)遺跡
2018.5.24 板付遺跡9 金隈(かねのくま)遺跡 連休に太宰府に行ってみようと思ってルートを調べていたら、空港の周辺にはたくさんの遺跡があるらしいことが分かってきたのですが、あちこち回っている時間はないので、空港の近くにあった板付遺跡と金隈遺跡に絞り、あとは福岡県埋蔵文化財センターに行ってどこにどんな遺跡があるのかをざっと見て資料を入手してくることにしました。...
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2018.5.26 『まぼろしの邪馬台国』 九州の地名をほとんど知らなかった私は、以前『まぼろしの邪馬台国』を読んだ時、出てくる地名がどこにあるのか分からなかったのですが<(_...
View Article福岡市埋蔵文化財センター
2018.5.27 福岡市埋蔵文化財センター 福岡市埋蔵文化財センターに行ってみれば市内の遺跡の全貌が分かるような展示や資料があって、遺跡の場所や分布から古代の地形や海岸線が分かるのではないかと思ったのですが、期待していたようなものはありませんでした<(_...
View Article邪馬台国の桃の種?
2018.5.28 邪馬台国の桃の種? 『まぼろしの邪馬台国』といえば、先日、新聞に「邪馬台国の場所 新材料」という記事があったのですが、奈良の纒向遺跡から出土した桃の種を放射性炭素年代測定したところ、西暦135~230年のものだということが判明したのだそうです。...
View Article「漢倭奴国王」の金印
2018.5.29 「漢倭奴国王」の金印 邪馬台国に関して私が初めて読んだ本が『まぼろしの邪馬台国』だったので、「畿内説」はどういう方がどのような根拠で唱えていらっしゃるのか知らないのですが<(_ _)>、きっと「アカデミック」な方々なのでしょうね(^_-)。https://blogs.yahoo.co.jp/sweetbasil2007/archive/2016/8/3?m=lc...
View Article「金印・志賀島・安曇族」
2018.5.30 「金印・志賀島・安曇族」 福岡では発見や発掘が相次いでいるようで、ミュージアムショップには「郷土歴史シリーズ」がたくさん並んでいたので、金印のレプリカと一緒に何冊か購入して来ました。つじつま合わせの総論よりも、地域資料の方が本当の歴史が見えてくるので面白いのですよね。 その中にNo.12の「金印・志賀島・安曇族」があったのですが、最初のページに...
View Article「金印・志賀島・安曇族」2
2018.5.31 「金印・志賀島・安曇族」2 この「金印・志賀島・安曇族」には、やはり、金印に関しては発見者・発見場所などへの疑問や偽造説などがあって、謎とミステリーに包まれていることが記されていました。 「金印・志賀島・安曇族」...
View Article「金印・志賀島・安曇族」3
2018.6.1 「金印・志賀島・安曇族」3 昨日、テレビから「フジイさんというお名前は、渡来人の葛井氏が始まり・・・」という声が聞こえてきたので、葛井寺へ行ったとき、なぜこれはクズイでなくフジイなのだろう?と疑問に思ったことを思い出しました(^o^)。https://blogs.yahoo.co.jp/sweetbasil2007/42432065.html...
View Article「金印・志賀島・安曇族」4
2018.6.2 「金印・志賀島・安曇族」4 葛井真成という名前はどこかで見たような気がしたのですが、葛井寺でした。藤井寺市にある辛国神社は韓国神社のようだけれど、いったい誰を祀っているのだろう?と行ってみたら、すぐ隣に葛井寺があったのです。...
View Articleコメントへのお返事 余呉湖
2018.6.3 コメントへのお返事 余呉湖 同感です。北陸線に乗車し琵琶湖から余呉を通過する際の風景を思い出すに琵琶湖の成り立ちと関係があるのだと思います。(基は一緒)昔から日本海と京都、大阪への重要なルートです。木曽義仲、柴田勝家が天下を夢みて通った要衝の地ですね。 2018/6/2(土) 午後 10:55 [ takeshi ]...
View Article「金印・志賀島・安曇族」5
2018.6.5 「金印・志賀島・安曇族」5 2016年に穂高神社で「祭神の穂高見命は海人族の安曇氏の祖神」だということを知ったのですが、『金印・志賀島・安曇族』には、「海人族には安曇族・住吉族・宗像族の3系統があって、全く別の軌跡を描いた」と記されていましたから、穂高見命は海人族の祖ではなく、安曇氏の祖なのですね。...
View Article「金印・志賀島・安曇族」6
2018.6.6 「金印・志賀島・安曇族」6 安曇族・住吉族・宗像族はみな海人族なのに違うカミサマを祖神として祀っていたのは、この3氏族の祖先がそれぞれ違っていたからなのでしょうね。...
View Article「金印・志賀島・安曇族」7 AIと古代史
2018.6.7 「金印・志賀島・安曇族」7 AIと古代史 新聞に「知能の謎を解き明かす」という記事があったのですが、その記事によると、最近よく聞くようになった「AI」はそれほど新しい技術ではなく、現在のAIブームは1950年代、1980年代に次ぐ第3次ブームなのだそうです。...
View Article「金印・志賀島・安曇族」8
2018.6.8 「金印・志賀島・安曇族」8 「金印・志賀島・安曇族」には、「宮地嶽神社」と「宮地嶽古墳」が載っていたのですが、私はその存在をこの冊子で初めて知りました<(_ _)>。「古代史探偵・推古」の古代史に関する知識の基本は教科書に載っている程度のものだったのですが、それは奈良・京都中心で地方のことにはまったく触れられていませんでしたからね~。...
View Article「金印・志賀島・安曇族」9
2018.6.10 「金印・志賀島・安曇族」↑の写真は宮地嶽神社の毎年10月22日の御遷座記念祭に奉納される「筑紫舞]で、別名「磯良舞」ともいうそうです。 この磯良とは、「安曇族の祖で、神功皇后の朝鮮出兵の際、召されて水先案内をしたことで有名」と解説されているのですが、神功皇后は架空の人物であって、朝鮮出兵もしていませんから、磯良は神功皇后の水先案内をしたことはないでしょう。...
View Article「金印・志賀島・安曇族」10 宮地嶽神社の祭神
2018.6.11 「金印・志賀島・安曇族」10 宮地嶽神社の祭神 宮地嶽神社の筑紫舞の所作には、明らかに南方系の要素があるそうですが、海人族が中国の南方の呉から来た人たちだからなのでしょうね(^o^)。現在私たちが食べている「温帯ジャポニカ米」の原産地は揚子江の中・下流域であることがDNAから分かっているそうですから、米や稲作を日本に持ち込んだのは、この呉から来た人たちだったようです。...
View Article「金印・志賀島・阿曇族」11 宮地嶽古墳
2018.6.12 「金印・志賀島・阿曇族」11 宮地嶽古墳 この「金印・志賀島・阿曇族」には、「国宝20点を含む豪華な副葬品が出土した宮地嶽古墳の石室は6世紀末から7世紀初めに築造されたもので、従来は宗像族の栄光を体現したものとされてきたが、実はこの遺跡の被葬者は阿曇族の首長たちである」と記されていたのですが、それは違うのではないでしょうか。...
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