2018.6.8 「金印・志賀島・安曇族」8
「金印・志賀島・安曇族」には、「宮地嶽神社」と「宮地嶽古墳」が載っていたのですが、私はその存在をこの冊子で初めて知りました<(_ _)>。「古代史探偵・推古」の古代史に関する知識の基本は教科書に載っている程度のものだったのですが、それは奈良・京都中心で地方のことにはまったく触れられていませんでしたからね~。
つまり「古代史探偵・推古」は古代史の知識や情報をほとんど持っていなかったに等しいということなのですが<(_ _)>、これは一面では『記紀』やその解釈というフェイク・ニュースを刷り込まれていなかったので、モノを見る時『記紀』というフィルターを通さずに見ていたということでもあるのですよね(^o^)。
宮地嶽神社 ・宮地嶽古墳
私は今まで日本一大きいのは出雲大社の注連縄だと思っていたのですが、この冊子によると日本一大きいのはこの神社の注連縄なのだそうで、この神社の後ろにある宮地嶽古墳からは、全長3mの日本一大きな豪華絢爛たる黄金の大刀の残片が出土していたのだそうです。
宮地嶽神社の注連縄 直径2.6m、長さ11m、重さ3tあるそうです。
この神社と古墳があるのは「福津市宮司元町」だそうですが、私は福津市がどこにあるのかも知らなかったので調べてみると、宗像市の南隣でした。
宮地嶽古墳は神社の境内にある日本一の大きさを誇る横穴式石室を有する巨石古墳で、この古墳からは特大太刀(タチ)や刀装具。馬具類、緑に輝く瑠璃壺や瑠璃玉、そしてガラス板など、およそ330点が出土していて、そのうちの20点が国宝に指定されているのだそうです。
九州国立博物館が、ここから出土した太刀の残片を元に2年をかけて復元したものが同博物館に常設展示されていたのだそうですが、知らなかった~~!!
復元された黄金の太刀
大宰府では九州国立博物館にも行ったのですが、その時は宮地嶽古墳のことも黄金の太刀のことも全く知らなかったので、スルーしてしまったようです(T_T)。
たまたま土曜日で、夜8:00まで開館していたので滑り込むことはできたのですが、早朝の飛行機で東京を発って、一日走り回った後だったので、疲れもあり注意力も散漫になっていて、やたらと大きな建物を見ただけでメゲてしまったのすよね。あ~~あ(T_T) 。
今思うと、博物館や資料館の建物がやたらと大きかったのは、注連縄や石室や太刀などと同じように大陸的なスケールだったということなのかもしれませんね(^_-)。