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「金印・志賀島・安曇族」10 宮地嶽神社の祭神

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2018.6.11 「金印・志賀島・安曇族」10 宮地嶽神社の祭神
 

宮地嶽神社の筑紫舞の所作には、明らかに南方系の要素があるそうですが、海人族が中国の南方の呉から来た人たちだからなのでしょうね(^o^)


現在私たちが食べている「温帯ジャポニカ米」の原産地は揚子江の中・下流域であることがDNAから分かっているそうですから、米や稲作を日本に持ち込んだのは、この呉から来た人たちだったようです。
 
日本各地の水田跡からは、水稲稲作が紀元前5世紀頃から開始されたことが分かっているそうですから、それなら福岡に日本最古の弥生時代の水田跡があることは大いに納得できますが、この人たちがやってきたのは紀元前5世紀頃なのですから、板付に縄文時代の水田跡があるということは、時期的に見ても標高から見てもますます納得できなくなりました<(_ _)>
 
私は北九州に行ったことがなく、これまで宮地嶽神社も知らなかったので<(_ _)>、宗像大社が宗像氏の祖を祀る祖廟なのだろうと思っていたのですが、宗像神社の祭神は「アマテラスとスサノオの誓約で生まれた宗像三女神」なのですよね。でもこのカミサマたちは、『古事記』の作ったオハナシの中のカミサマで、実在のヒトである宗像氏の祖先のはずはありませんから、天津族が祭神を差し替えたのかもしれないと考えていました。
 
けれど宗像氏は天津族の朝廷で重臣にもなっていた有力氏族であったことが分かりましたから、その宗像氏が祖廟に祀っていた先祖を架空のカミサマに差し替えてしまうことなどできなかっただろうと思います。先祖を祀るということは、何よりも大事なことだったようですから。現代でも「火事や大地震の時に先祖の位牌だけをもって逃げる」というのは、その名残なのかもしれませんね(^_-)
 
ひょっとすると、宗像氏の先祖ではなく『古事記』が作り出した架空のカミサマを祀っている宗像大社は、出雲大社と同じように『古事記』の編纂中か成立後にオハナシに合わせて造られた神社なのかもしれません。ちなみに現在の出雲大社は延喜式には杵築大社と記されており、その社殿が『古事記』のオハナシに合わせて作り変えられたのは和銅2年(709)だそうで、「杵築大社」から「出雲大社」に名を変えたのは明治以降だそうです。
 
それなら、宗像氏の祖を祀る本当の祖廟は別にあるのではないか?もしかするとそれは、境内に古墳があるという宮地嶽神社なのかもしれない、と考えて宮地嶽古墳を調べてみると、この一帯には5世紀から7世紀にかけてのたくさんの古墳があり、宮地嶽古墳はその津屋崎古墳群の中の一つだということが分かりました。それでは、それらのたくさんの古墳は、有力豪族だった宗像氏一族の墓なのではないでしょうか。
 
そこで、宮地嶽神社が何(誰)を祀っているのか調べてみると、祭神は「息長足比売命勝村大神・勝頼大神]の三柱のカミサマなのだそうですが、息長足比売命とは神功皇后のことで架空の人物ですから、本当の祭神は、勝村大神・勝頼大神のようです。するとこの二人が3世紀半ばに神功皇后ならぬ狗奴奥の王の水先案内をした宗像氏の祖なのかもしれませんね(^o^)
 
 
 

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