Quantcast
Channel: 歴史探訪
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1389

「金印・志賀島・安曇族」9

$
0
0
2018.6.10 「金印・志賀島・安曇族」

イメージ 1


↑の写真は宮地嶽神社の毎年1022日の御遷座記念祭に奉納される「筑紫舞]で、別名「磯良舞」ともいうそうです。
 
この磯良とは、「安曇族の祖で、神功皇后の朝鮮出兵の際、召されて水先案内をしたことで有名」と解説されているのですが、神功皇后は架空の人物であって、朝鮮出兵もしていませんから、磯良は神功皇后の水先案内をしたことはないでしょう。
 

神主さんが顔を白布で覆っているのは、磯良は長年海中に住んでいたため、海藻や貝殻が顔に付いて醜くなっていたからだそうですが、そんなことは実際にはあり得ませんよね(^o^)。もっともらしいオハナシはやはり警戒した方がよさそうです(^_-)

 
この解説を書かれた方は『記紀』信奉者のようですが、架空の神功皇后は、1926年(大正15年)に歴代天皇から除外されていますし、戦後はGHQによって教科書からも削除されていますから、戦前の教育を受けた方なのでしょうか?それとも1926年に神功皇后が歴代天皇から除外されていたことをご存じないのでしょうか?門外漢の私は2016年まで全く知りませんでしたが(^o^)
 
もしも歴史学者さんたちが、もう92年も前に削除された神功皇后をまだ実在の天皇だと信じているのだったら、チコちゃんに「ボーッと生きてんじゃね~よ!」と叱ってもらいたいですね(^_-)
 
ともあれ安曇の磯良は、270年に亡くなった神功皇后の水先案内をしたことになっているのですから、3世紀半ばの人だったようです。すると、磯良は安曇族の祖ではなく、紀元前5世紀ごろに渡来した呉国人の安曇氏の子孫だということになりますね。
 
3世紀半ばというと、卑弥呼が帯方郡に朝貢の使者を送って狗奴国との戦いを報告したのが247年ですから、南九州の狗奴国が北九州に侵攻し始めた頃のようです。すると、磯良が水先案内をしたのは神功皇后ではなく、天津族の狗奴国の王だったのではないでしょうか。
 
阿多隼人・大隅隼人ら隼人族を取り込んで南九州を支配していた天津族が、北九州の福岡~宗像を地盤としていた海人族と手を組んで、その間にあった壱与を盟主とする30余国の邪馬台国連合を挟み撃ちにして滅ぼし、九州を統一したということのようですが、これが「倭国で大乱があり1000人余が死んだ」と中国の記録にある「倭国の大乱」であり、邪馬台国連合の諸国が完全に滅ぼされ、盟主であった壱与が死んだのが、神功皇后が死んだとされている270年だったのではないかと思います。
 

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1389

Trending Articles