地名は、今ならグーグルで簡単に検索できますし、航空写真でおおよその地形も分かりますし、拡大すると細かい地名まで分かるのですが、以前は紙の地図や地図帳で捜していたので全く知らない土地の地名を探すのは簡単ではなくて、地図張には主な地名しか載っていないので見つからないこともあり、見つかっても例えば『常陸国風土記』の地形の記述は、見つけた場所の地形とは全く合っていませんでした<(_ _)>。
そんなことから1300年前の地形は今とは違っていたのではないかと考え、風土記に記されている場所に行って地形を確かめ、地元の詳細な地図や古い地名や伝承などの資料を集めてくるフィールドワークを始めたのですが(^o^)、やっぱり自分の目で現地を見るフィールドワークは大事ですね。現地の地形や資料からは、教科書や学者さんたちの歴史解釈などから得た机上の知識とは全く違う事実が見えてきたので、それが面白くていまだに続けているわけです。
例えば『常陸国風土記』では、「常陸」は「直道(ひたみち)」であって、船を使わずに陸路だけで行けるという意味であると解釈されていたのですが、橋が架けられていなかった時代に船を使わずにいくつもの川を越えて常陸まで行けたはずがないではありませんか。冒頭から解釈が違っているのです。
ではなぜ「ひたみち」なのかというと、学者さんたちの思い込みとは正反対で、船越をしたり、少しでも自分の足で歩いたりすることなく、船に乗ったまま石岡にあった国府まで行くことができたからでしょう(^o^)。なぜなら関東平野は古代には海であり、藤原宇合に随行してきた高橋虫麻呂が筑波の嬥歌(歌垣)の歌に残したように、8世紀になっても筑波の麓まで海だったのですから。
それなのに、標高10mの板付にはそれよりずっと前の縄文時代の晩期や弥生時代の早期に水田が作られていたということが私は納得できないのですが<(_ _)>、いったいどういうことなのでしょうね~???
ところで、先日
千葉県市原市にあるおよそ77万年前の地層を「国際標準地」に登録し、地球の歴史の一時代をチバニアン=千葉時代と名付けることを目指している茨城大学などのグループは、国内の別の団体から審査を行う国際学会などに疑義が寄せられ、審査が中断していることを会見で明らかにした。グループは疑義は事実無根だとしたうえで、早急な審査再開を求めることにしている。
というニュースがあったのですが、国内の別の団体ってどういう団体なのでしょうね?
実は、国際標準地としてチバニアンを申請したというニュースを聞いたとき、私は『記紀』の作り話を根拠としている「神社本庁」や「日本会議」や「神道政治連盟」や「新しい教科書を作る会」などの非論理的な団体が「イザナギとイザナミが国を生んだという神話に反する」と反対運動をして妨害するかもしれないと危惧したのです(^_^.)。
気になったので試しに「チバニアンに反対する団体」と入れて検索してみたら、「古関東深海盆ジオパーク認証推進協議会」(茨城大名誉教授楡井氏が会長)の名前が出てきました。国際学会連合とイタリアの競争相手にチバニアンに異議を唱えるメールを送ったようですが、この協議会も長年千葉セクションを研究してきた団体だそうですから、これは学者間の足の引っ張り合いでしょうか???
千葉セクション
神がかりのつじつま合わせから脱却するためにも「チバニアン」に決まってほしいと思っているのですけれどね~。