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『まぼろしの邪馬台国』

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2018.5.26 『まぼろしの邪馬台国』
 
九州の地名をほとんど知らなかった私は、以前『まぼろしの邪馬台国』を読んだ時、出てくる地名がどこにあるのか分からなかったのですが<(_ _)>、実地踏査から導き出した推理や詰めて行く過程がつじつま合わせではなく論理的だったので、どこのことなのかよくは分からないなりに「なるほど」と思いました。そこで九州の地図を買ってきて場所を確かめようとしたのですが、これが大変だったのですよね<(_ _)>。全く土地勘がないのでなかなか探すことができなくて、やっと見つけてもどんなところなのか見当がつかなかったのです(T_T)

イメージ 1

 
けれど当時、関東地方での実地踏査を通して地形の変化について考えていた私は、玄界灘から有明海に続く平野が古代には海(水道)だったことや、「邪馬台国へは伊都国から南へ水行10日」という倭人伝の記述は、文字通りこの水路(水道)で南に向かうことであって、畿内説の学者さんたちの言うように東の大和へ向かうことではないという推理には深く納得することができました(^o^)。方位を正確に読んでいたから海を越えて末盧国までやってくることができたのに、着いたとたんに方向が分からなくなって南と東を取り違えたりするはずはありませんものね。
 
で、いつか出かけて行ってそれを確かめてみたいと思っていたのですが、今回福岡に行ってみたことで、ほんの少しですが『まぼろしの邪馬台国』に記されていた地名の位置関係や当時の地形などが分かってきました。ここまでに福岡平野が古代には海だったことや牛頸川(御笠川)が入り江だったことは確かめることができましたしね\(^o^)/。
 
少しでも現地を知っているか全く知らないかで、本や資料を読んだ時の理解度や資料から読み取れるものは全く違ってくるので、『まぼろしの邪馬台国』を読み直してみようと思っているのですが・・・・・・
 
以前も「なるほど」と思いながら読んでいて、時々「エッ?」と思うところがあったのですよね。論理的に推理を進めながら、仲哀天皇や神功皇后や日本武尊のような『記紀』の創った架空の人物が出てくると突然つじつま合わせになってしまう、というような・・・・・・
 

著者の宮崎康平氏はいつ頃の人だったのだろう?と調べてみたら、今から100年前の1917年のお生まれでした。ということは神話や国家神道や皇国史観を、有無を言わさず刷り込まれた世代だったようです<(__)>。ご本人は論理的な方で、日向の高天原は人為的にセットされたディズニーランドだと『まぼろしの邪馬台国』の中で喝破されていらしたのですが、子供の頃に刷り込まれた仲哀天皇や神功皇后や日本武尊を拭いさることはできなかったようです。

 
子供の頃に刷り込まれてしまった非論理的なものは、意識の奥の深いところに残り続けて、無意識に思考や判断や行動の基準になってしまうようです<(_ _)>。一種の洗脳ですよね。

森友学園の籠池夫妻が「瑞穂の国記念小学校」でやろうとしていたのは、その神話や国家神道や皇国史観や教育勅語を子供に刷り込む洗脳教育だったようですが、昨日保釈されてまず語ったのも、そういう小学校の建設をまだあきらめていないということだったようです<(_ _)>。
 
 

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