2018.5.29 「漢倭奴国王」の金印
邪馬台国に関して私が初めて読んだ本が『まぼろしの邪馬台国』だったので、「畿内説」はどういう方がどのような根拠で唱えていらっしゃるのか知らないのですが<(_ _)>、きっと「アカデミック」な方々なのでしょうね(^_-)。
卑弥呼の金印といえば、「福岡」で真っ先に頭に浮かんだのは、教科書にあった「漢倭奴国王」の金印と、それが発見されたという志賀島だったので、太宰府に行って水城を見たら、香椎宮から志賀島の金印発見の場所に行ってみようと思っていたのですが、その場所を調べていたら「金印発見」のオハナシはかなりアヤシイということや、金印は偽造だという説まであることが分かってきました<(_ _)>。
そのうえ、その背景にあるのは学者間の名誉争いだったり、勢力争いだったり、金銭絡みだったり・・・ いつの時代も同じなのだな~と思ったらテンションが下がってきてしまったのですが(T_T)、それでも、なぜそこから出てきたというオハナシが創られたのか、そこは本当に出てくるはずのないような場所なのかを確かめたいと思ったのと、志賀島は海人族が最初に上陸した場所だったようなので、行ってみたいとは思ったのですが・・・・
2泊3日と時間が限られていたので、作り話の「仲哀天皇と神功皇后の香椎宮」や、作り話かもしれない「金印出土地」に行くよりも、代々王がいたという「伊都国」と、伊都国と志摩国の間にあったという水道を確かめに行く方がよさそうだと考えて行き先を変更することにしました(^_^.)。
金印の文字の「倭奴国」は、「倭の奴の国」ではなく、「倭奴国(いとこく)」ではないかという説があることを知って考えてみた結果、
その金印は「漢の倭奴国(いとこく)の王」と読み、伊都国の王が漢の武帝から貰ったものなのではないかと考えたので、金印の持ち主がいたと思われる「伊都国」へ向かうことにしたのです。伊都国の王墓から出土した豪華な副葬品は中国由来のもののようなので、伊都国王が中国と行き来していたのは間違いないようでしたから(^o^)。
というわけで志賀島とは反対方向の伊都国へ向かっていたのですが、その途中で金武古墳群の夫婦塚古墳に遭遇したため、この探訪記は「金武古墳群」から始まってしまったのです(^o^)。
金印の実物は福岡市博物館にありましたが、ケースに入っていてよく見えなかったので、レプリカを一つ入手してきました(^o^)。
「漢倭奴国王」の金印