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「金印・志賀島・安曇族」6 

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2018.6.6 「金印・志賀島・安曇族」6 
 
安曇族・住吉族・宗像族はみな海人族なのに違うカミサマを祖神として祀っていたのは、この3氏族の祖先がそれぞれ違っていたからなのでしょうね。
 
神宝を隠してあった沖ノ島は宗像氏の領地であり、神宝は宗像神社のものであること、宗像氏の祖神はアマテラスが生んだ子だとされていることから考えて、宗像氏は呉の王族だったのではないでしょうか。子孫の宗像徳善は天武天皇の義父になっていますしね。
 
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天武天皇の長子の高市皇子を生んだのは、この宗像徳善の娘の尼子娘(あまこのいらつめ)なのですが、尼子娘が皇后になれず、第一皇子の高市皇子が天皇になれなかったのは、尼子娘の出自が呉国人の宗像氏であって、天津族の王族ではなかったからでしょう。
 
一方の安曇氏は、操船技術に長けていたようで、子孫の安曇比羅夫は白村江の戦いの時の大将軍だったそうですから、安曇氏はずっと武人だったようです。もし孫武が実在の人で日本に来ていたとしたら、安曇氏は孫武の子孫なのかもしれません。これはまだ可能性の仮説であって、検証したものでもきっちり詰めたものでもありませんが(^_^.)
 
662年に大将軍大錦中になった安曇比羅夫は、天智天皇の命で660年に滅亡した百済を再興するために、軍船170艘を率いて百済に向かい、日本にいた百済の義慈王の王子・余豊璋(善光寺を作った余善光の兄)を王位につけたのですが、この後百済では内紛が起き、結局663年に唐・新羅連合軍によって滅亡してしまいました。その時の戦いが「白村江の戦い」だったのですが、安曇比羅夫はこの戦いで討ち死にしてしまったそうです(T_T)
 
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もう一方の住吉族については私は何も知らないのですが<(_ _)>、『金印・志賀島・安曇族』には、住吉族は三韓~唐へ使いをした功績で奈良朝には宮司家の津守氏宿禰になったと記されていましたから、こちらも操船技術に長けた氏族だったようで、この宿禰になった津守氏も紀元前5世紀に渡来してきた呉国人の子孫だったようです。この津守氏の主な任務は「往来ふ船を看む」ということだったそうですから「津守」は職種の名のようですね。

 
安曇族と住吉族の祖神は、アマテラスの子ではなくイザナギが黄泉の国から戻ってきて禊をした時に生まれたカミだということになっていますから、アマテラスの子の宗像3女神より格下です。安曇族と住吉族は、宗像族と同格の王族ではないということなのでしょうね。
 
身分は出自と血統のみで決まり、天皇(王)家に生れなければ天皇(王)にはなれないし、貴族の家に生まれなければ貴族にはなれなかったのですから、出自と血統はいろいろな形できっちりと記してあるのです。神社も祀っているカミサマによってしっかりと「神階」という序列がつけられていますしね。作り話のアマテラスは誰の祖先でもありませんからアマテラスを祀る伊勢神宮には神階はないようです(^o^)
 
 
キラウェア山の噴火は終息が見えず、溶岩が大量に海に流れ込み始めて大量の有毒ガスが発生しているそうです(T_T)。でも、キラウェア山はもう一月近くも噴火を続けているのに、先日噴火したばかりのフエゴ山のほうが、ずっと被害が大きいのですよね。
 
キラウエア山は、溶岩が裂け目からジワジワとあふれ出す楯状火山と言われるタイプなのに対して、フエゴ山は灰や溶岩や泥が勢いよく噴き出してくる成層火山と言われるタイプの火山で、フエゴ山のマグマの方が粘性が高いために爆発的な噴火になるのだそうです<(_ _)>
 

ちなみに「キラウエア」は、ハワイ語で「噴き出す」または「多く撒き散らす」という意味だそうです。

 
 
 

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