池生神社15 一子相伝4
2016.2.20 池生神社15 一子相伝4 神祇官によって明治5年に神長官の世襲が廃止されたあと、明治6年にはミシャグチ神の祭祀に用いた佐奈技(さなぎ)鈴だけを残して御宝印や鏡や刀などの守矢家の家宝は諏訪大社に移されてしまったのだそうです。つまり召し上げられてしまったということなのでしょうね(T_T)。 サナギ鈴...
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2016.2.22 池生神社16 諏訪大社大祝・諏訪氏 生神の大祝だった諏訪氏については、「頼重の時に直系が滅びた」ということなので、それはいつのことなのだろう?と「諏訪頼重」を調べてみると、 諏訪頼重:諏訪氏の第19代当主。諏訪頼隆の子。上原城城主。諏訪大社大祝(おおほうり)。武田勝頼の外祖父にあたる。...
View Article池生神社17 諏訪大社大祝・金刺氏
2016.2.23 池生神社17 諏訪大社大祝・金刺氏 2009年に諏訪に出かけてみたら、ますます分からないことが増えてしまったので、↓を買ってきたのですが、7年前には「はじめに」の最初のページが全く理解できなかったので、その先を読む気になれずツンドクにしてしまいました(^_^.)。今回読んでみて少し分かってきたこともあるのですが。...
View Article池生神社18 諏訪大社大祝・諏訪氏と金刺氏
2016.2.24 池生神社18 諏訪大社大祝・諏訪氏と金刺氏 ここまで検証してところでは、世界史と日本史全体の流れから見ても、信濃に残されている様々な遺跡や伝承から見ても、地球史や人類史の因果関係のつながりから見ても、「守矢史料館のしおり」に記されていたことに矛盾は見られないようですから、その内容はかなり信憑性が高いようです(^o^)。...
View Article池生神社19 諏訪大社大祝・諏訪氏と金刺氏2
2016.2.25 池生神社19 諏訪大社大祝・諏訪氏と金刺氏2 それでは、6世紀に下社の大祝となった金刺氏と、平安時代になって上社の初代大祝になった神氏の諏訪氏とはどういう関係なのだろう?と思ったら、「はじめに」の最後に「神氏系図」が載っていました。 神氏系図...
View Article池生神社20 学術的蘇我氏論?
2016.2.26 池生神社20 学術的蘇我氏論? 私には納得できない学者さんたちの「説」に遭遇するたびに「だから、僕は歴史家には呆れ返るのさ。彼らときたら、一つの事態の納得性ということに関して何にも考えてみようとしないらしい。」という『時の娘』のグラント警部の言葉に頷いてきたのですが、これは少し訂正が必要かもしれません(^o^)。...
View Article池生神社21 タケミナカタのお墓?
2016.2.27 池生神社21 タケミナカタのお墓? うっかりしてしまいましたが『古事記伝』を著した本居宣長は、歴史学者ではなく国学者でした。国学というのは事実かどうかには無関係な「思想」であり、宣長の『古事記』解釈は、その思想のための解釈だったようです<(_ _)>。...
View Articleスプリング・エフェメラル カタクリ
2016.2.28 スプリング・エフェメラル カタクリ サンシュユの花が開き始めたので、そろそろ芽が出ているかな?とカタクリを見に行ってみました。 林床はまだ一面の枯葉色で、何も出ていないように見えましたが、 かがんでよくよく眼を凝らすと、真っ赤な小さな芽があちこちで伸び出していました(^o^)。開き始めたばかりの葉はまだ赤いけれど、少し大きくなったものは緑色になっています。...
View Article池生神社22 諏訪大社の本殿
2016.2.29 池生神社22 諏訪大社の本殿 2009年には「諏訪大社には本殿がなく、木や山をご神体としている」との説明を読んでから出かけたので、前宮にあった御柱は拝殿の周りに立てられていたのだとこれまでずっと思い込んでいました(^_^.)。 前宮一之御柱...
View Article池生神社23 前宮とミシャグチ様
2016.3.1 池生神社23 前宮とミシャグチ様 昭和初期の前宮http://yatsu-genjin.jp/suwataisya/zatugaku/smaemiya.htm...
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2016.3.2 『美貌の女帝』 少し前の新聞に永井路子著『美貌の女帝』の紹介があったのですが、そこに載っていた平城京の写真を見て、美貌の女帝ってどの女帝のことだろう?どうして美貌だったということが分かったのだろう?と疑問に思いつつ記事を読んでみました(^o^)。...
View Article『美貌の女帝』2
2016.3.3 『美貌の女帝』2 昨日アマゾンを見てみたら「古代の地形から『記紀』の謎を解く」に書いたことについて「全くのでたらめだ」との感想が書かれていました。...
View Article池生神社24 前宮とミシャグチ様2
2016.3.4 池生神社24 前宮とミシャグチ様2 3.1の「池生神社23 前宮とミシャグチ様」の続きに戻ります。http://blogs.yahoo.co.jp/sweetbasil2007/42680788.html...
View Article池生神社25 諏訪大社 本宮と大祝(おおほうり)
2016.3.5 池生神社25 諏訪大社 本宮と大祝(おおほうり) ボランティアさんの説明では諏訪大社の本宮が造られたのは300年ほど前の江戸時代だとのことだったのですが、守矢家の資料によると、頼広が分家して大祝家になったのは1587年のことで、江戸幕府が開かれるより前だったようです。...
View Article池生神社26 諏訪大社の祭神
2016.3.7 池生神社26 諏訪大社の祭神 諏訪湖はタケミナカタが諏訪にやって来た2~3世紀と比べると信じられないほど小さくなってしまっていますし、以前に検証したように、琵琶湖や霞ヶ浦なども同様です。地球上では地形も海面の高さも大きく変化し続けていたのですから、何百年、何千年、何万年も前のことを現在の地図で考えたのでは事実からかけ離れた恣意的なつじつま合わせにしかならないのです。...
View Article池生神社29 神明造の本殿
2016.3.10 池生神社29 神明造の本殿 本宮・秋宮・春宮の宝殿の建物は神明造の古い神社の形を伝えているものだそうですが、中に納められているのは祖霊ではなくお神輿だそうです。やはり本宮も秋宮も春宮も、表向きは祭神としているけれど大祝の祖先ではない「タケミナカタとヤサカトメ」を祀ってはいなかったのですね。それはそれでちゃんとスジが通っているわけですが(^_-)。...
View Article池生神社30 宮司さんは経営者?
2016.3.11 池生神社30 宮司さんは経営者? ところで本宮の宝殿はいつから大国主命社になったのでしょうね?本宮が造られたのは1587年頃ですから、それ以降であることは間違いありませんが、大祝になって本宮を造った諏方氏は大国主とは何の関係もなかったのですから、大国主を祀る大国主命社を造ったのは諏方氏ではないでしょう(^o^)。...
View Article池生神社 池生命のお墓
2016.3.12 池生神社 池生命のお墓 タケミナカタの子孫がタケミナカタを祀っていた前宮の、本殿の後方の一段高い所はタケミナカタとその一族の墓所と伝わっていて、タケミナカタとヤサカトメのお墓と伝えられる古墳があったようですが、神長官家にも一段高い所に古墳があって祖先の墓と伝わっており、周辺には他にもいくつかの古墳があったのだそうです。...
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