山の隆起と世界の塩湖 チチカカ湖と諏訪湖30
2016.1.29 山の隆起と世界の塩湖 チチカカ湖と諏訪湖30 インカの王・アタワルパを罠に嵌めて6~7000人ものインディオを虐殺したピサロは、生け捕りにしたアタワルパを人質にして身代金交渉を行い、縦22フィート、横17フィート、高さ8フィートの部屋を満たすほどの黄金をインディオ達に運ばせた後、約束を反故にしてアタワルパを処刑してしまったのだそうです。...
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2016.1.30 山の隆起と世界の塩湖 チチカカ湖と諏訪湖31 紀元前2500年頃から日本列島にやって来始めた弥生人は、初めは先住の縄文人と共生し、混血していたようですが、『古事記』や『常陸国風土記』の記述を見ると、4世紀の天津族の東征の頃から先住の縄文人は天津族によって殺され、土地を奪われて列島の中央から北と南に追いやられていったようです(T_T)。...
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2016.2.2 山の隆起と世界の塩湖 チチカカ湖と諏訪湖33 ピサロたちスペイン人が少人数で何倍も何十倍ものインディオを虐殺することができたのは、石や青銅や木の棍棒しか持っていなかった先住民に対して、鉄の武器や武具を持っていたことが大きかったようです。...
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2016.2.3 縄文の耳飾り 甲府盆地は海で、塩山市の「塩の山」には本当に岩塩があったのではないか?諏訪湖は塩湖だったのではないか?塩湯の湧く大鹿村も古代には海だったのではないか?と考えたので、9月の連休に山梨~長野に確かめに行ってみることにしたのですが、そのルートを考えていたら八ヶ岳には多くの縄文遺跡があることが分かってきたので、塩山から諏訪湖に向かう途中で井戸尻遺跡の考古館に行ってみました。...
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2016.2.4 縄文の耳飾り2 あんなに大きくて重そうなものを、本当に耳に穴を開けてつけていたのか? 映像を見てもまだなかなか信じられなくて(^_-)、先日たまたま朝霞市の博物館で見かけた↓の本を買ったのですが、これを見ると本当だったようです。耳に穴を開けてはめ込む他にはこの大きな耳飾りをつける方法はなさそうですし・・・・ 縄文時代のアクセサリー 装着推定図...
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2016.2.6 池生神社2 北杜市から井戸尻考古館に向かう途中で、御柱の立っている神社が道路際に見えたので、あれが池生神社かな?と思ったのですが、ナビには名前が出ていないし、神社の建っている場所には違和感があったし、あまり時間もなかったので、先に井戸尻遺跡と考古館に行って、場所を確認してから池生神社を探すことにして通り過ぎました。...
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2016.2.8 池生神社3池生神社は、その名前と祭神とから考えて 「タケミナカタの息子でこの地の支配者となっていた池生命の宮のあった所に造られた祖廟なのではないか」と推理したので、その場所を確かめたかったのですが、この神社のあった場所は支配者の宮があった場所のようには見えませんでした<(_ _)>。...
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2016.2.9 池生神社4 現在公園や名園として残されている大名屋敷や明治の元勲・豪商と言われた人たちの邸は、ほとんどがハケ(崖)の南斜面の上の眺望の良い所に住居を作り、ハケの下には大きな池を作って、斜面を起伏と変化のある庭として利用する形になっています。身近な例を挙げてみると、江戸川公園、古河庭園、椿山荘、五島美術館、根津美術館、静嘉堂、滄浪泉園、殿ヶ谷戸庭園などなど・・・・・...
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2016.2.11 池生神社6 6年前に訪れた諏訪大社で、諏訪に製鉄と稲作を持ち込んだタケミナカタ(ヤシマジヌミノミコト)には佐久に田を拓いたオキハギノミコトの他にも12人の子がいたことを知って、その子ども達がそれぞれどの辺りを開拓して支配地としたのかは、その子を祖神(おやがみ)として祀る祖廟が造られている場所で分かるのではないかと考えて調べてみたのですが、その時点では、...
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2016.2.15 池生神社10 神氏 ↑の池生神社の概歴には、池生命の神裔(子孫)は姓を神と称し、県内一円に散居し地方開拓の先達であったと伝えられている」とありますから、タケミナカタの子孫は代々開拓に励みながら支配地を四方に広げていったようですね。 この「姓を神と称し」の姓は「せい」ではなく身分や出自を表す「カバネ」でしょう。この時代には「せい」というものはありませんでしたから(^o^)。...
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2016.2.17 池生神社12 一子相伝 洩矢神から現在までの守矢氏の78代の系譜 この系譜は、明治5年に神長官が廃止されるまで一子相伝の口伝で伝えられてきたもので、最後の神長官となった76代実久氏が初めて文字にしたものだそうです。...
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2016.2.19 池生神社14 一子相伝3 一子相伝で伝えられたことは、他人はもちろん兄弟にさえもらしてはならなかったのだそうです。すると、これは人を選びますよね。記憶力に優れ、責任感が強く、口が堅くて健康な人でなければならないわけです。病弱で次の代に伝える前に亡くなってしまったのでは全てがそこで途切れてしまうわけですから。...
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