2016.1.29 山の隆起と世界の塩湖 チチカカ湖と諏訪湖30
インカの王・アタワルパを罠に嵌めて6~7000人ものインディオを虐殺したピサロは、生け捕りにしたアタワルパを人質にして身代金交渉を行い、縦22フィート、横17フィート、高さ8フィートの部屋を満たすほどの黄金をインディオ達に運ばせた後、約束を反故にしてアタワルパを処刑してしまったのだそうです。
ピサロにとってはこれもカトリックの神が許したことであり、莫大な黄金を手に入れることができたのもその神のご加護によるものだったのでしょうけれど、カトリックの神はインディオたちにとっては疫病神以外の何者でもなかったようです(T_T)。
神を口実に人質を取って莫大な身代金を要求したり、処刑したり、テロによって大量殺人をしたりと、今、ISはピサロのしたことと同じやり方で同じことをしているわけですが、神を口実にすればどんな残虐な犯罪でも正当化できるということなのでしょう。オウム真理教も誘拐・殺人・サリンによる大量殺人の計画など同じことをしていましたよね。
先住民たちが住んでいた土地が、もし不便で不毛なだけの土地であったなら、先住民たちは後からやって来た弥生人やヨーロッパ人によってこのような悲惨な目にあわされずに済んだのでしょうけれど、先住民がわざわざそんな場所を選んで住んでいたはずはありませんから、先住民が住んでいたのは、当時は後から来た人たちが是が非でも自分たちのものにしたいと思うような豊かで暮らしやすい場所だったのだろうと思います。
アンデスの遺跡
その上、蝦夷たちが住んでいた陸奥からも、インディアンたちが住んでいた西部からも金が発見されていますし、インカにはアタワルパの身代金に支払ったような大量の黄金があったのです。
先住民が手当たり次第に虐殺されたのも、住んでいた所から辺境に追いやられたのも、豊かで住みやすく金や資源の豊富に出る土地を後からやって来た弥生人やヨーロッパ人が自分たちのものにするためだったのですね(T_T)。
権力構造も、神もそれらの富を永久に自分たちだけのものにしておくために作り出されたもののようです<(_ _)>。
以前、経済や会計簿を通して歴史を考えてみたら、歴史の因果関係が見えるようになってきたので、信長の石山本願寺との戦いは宗教弾圧ではなく、戦国大名の通常の城取りであって、信長は地形的・地理的に本願寺のある場所を押さえたかったのだろうと推理したのですが、
昨日、その推理を信長自身の言葉で確かめることができました\(^o^)/。和田竜著『村上海賊の娘』を読み始めたらその最初に、石山合戦を記した『石山退去録』には、信長が「あの大坂本願寺の地形こそ古今稀なる城地なり。彼の処に城を築き、西国の押さえにするならば、又もなき究竟の場所ならん」と言ったこと、同じく石山合戦の顛末を記した『石山軍記』にも同様の記述があることが記されていたのです。
また戦国時代には、上町台地から急な段差を成して難波砂堆が台地に並行して続いていてその先が難波海であり、難波砂堆は水たまりの散見される葦原だった、と「上町台地の麓は古代には海だった」というここまでの地形に関する推理を裏付けてくれる記述もありました\(^o^)/。
やっぱり『古事記』や『古事記伝』のウソを信奉して歴史をカミサマで解釈しているためさっぱり訳の分からない学者さんや歴史研究家の学術的な(?)「歴史解釈本」より、歴史を人間の物語として解釈している小説の方がずっとずっとず~っと参考になるようです(^_-)。