2016.2.2 山の隆起と世界の塩湖 チチカカ湖と諏訪湖33
ピサロたちスペイン人が少人数で何倍も何十倍ものインディオを虐殺することができたのは、石や青銅や木の棍棒しか持っていなかった先住民に対して、鉄の武器や武具を持っていたことが大きかったようです。
棍棒では鉄兜や鉄鎧で武装した相手を殺すことはできなかったけれど、鉄の剣は先住民の刺し子の鎧を簡単に貫くことができ、会見の場で突然銃で襲われて大混乱に陥ったインディオ達は、ほとんど抵抗もできないまま一方的に虐殺されたのだそうです(T_T)。
けれど武器の違いもさることながら、この虐殺にもっと大きな役割を果たしたのは情報量と馬だったようで、紀元前4000年前頃から第一次世界大戦まで陸軍の中心的な戦力は騎馬だったそうですが、スペイン人が騎馬隊を持っていたのに対し、インカには歩兵しかいなかったようです。
またスペイン人の侵略は1510年にパナマで始まり、アステカはすでにコルテスによって征服されてしまっていたのですが、インカ人は1527年にピサロたちがやってくるまでスペイン人の存在すら全く知らなかったのだそうです<(__)>。
ピサロたちが、紀元前から抗争や戦争を繰り返してきたヨーロッパの歴史やアステカを征服したコルテスの戦術など様々な知識を文字を介して得、インカの情報も入手していたのに対し、インカ人はスペイン人や異文化について何も知らず、未知の外部からの侵略を受けた経験もなかったうえ、昔も今も勝敗を決するのは敵に関する情報だったのに、情報も、それを正確に広範囲に伝える文字も、迅速に伝えるための馬も持っていなかったのです。
縄文人も、インディアンも、インディオも、アボリジニも、異文化を知らず、文字や鉄の武器を持っていなかったという点では先住民は全く同じだったのですね(T_T)。
「先住民は野蛮で凶暴であり、それを征伐した自分たちは正義である」とする歴史の記録は、略奪者側が自分たちを一方的に美化し正当化したウソだったのですが、先住民の縄文人・アメリカインディアン・インディオ・アボリジニは文字を持たない人々だったため、先住民の側が書き残した記録は皆無で、歴史として記され、私たちが教育の場で教え込まれてきたものは全て、「略奪者側が自分たちのしたことを正当化して創った歴史」だったということのようです<(_ _)>。
諏訪湖もチチカカ湖も元は海であり、塩湖だったのではないか?という疑問から始まった推理と検証は、地球史や人類史というとんでもなく遠い所まで行ってしまいましたが(^o^)、諏訪湖が元は海であったことも、諏訪湖の周辺に旧石器時代や縄文時代の遺跡を残した人々が住んでいた頃には諏訪湖は塩湖だったことも確かめることができたようです\(^o^)/。
「・・・と考えたい」「・・・とすればよい」というような恣意的な解釈で適当にごまかさずに、きっちりと疑問を突き詰めていけば、ちゃんと論理的な因果関係が見えてくるのですよね(^_-)。
ネコビタイ便り
5月に日除けにしようかなと買ったパッションフルーツの苗に、3個の実が付いていたのですが、そのうちの一つが薄く紫色を帯びたものの、二つはずっと緑色のままです。このところの冷え込みで、葉は凍って枯れてしまったのに、実はまだ緑色のままなのですが、熟しても色の変わらない種類だったのかな~???
凍って枯れた葉
去年の11月の実