2016.2.3 縄文の耳飾り
甲府盆地は海で、塩山市の「塩の山」には本当に岩塩があったのではないか?諏訪湖は塩湖だったのではないか?塩湯の湧く大鹿村も古代には海だったのではないか?と考えたので、9月の連休に山梨~長野に確かめに行ってみることにしたのですが、そのルートを考えていたら八ヶ岳には多くの縄文遺跡があることが分かってきたので、塩山から諏訪湖に向かう途中で井戸尻遺跡の考古館に行ってみました。
考古館には縄文時代(約8000~2300年前)の土器や石器が多数展示してあり、縄文のいろいろな耳飾りと大きな耳飾りをつけた東南アジアの女性の写真も展示してあったのですが、それを見て以前疑問に思ったことを思い出しました(^o^)。
「耳飾り」の展示はよくあるのですが、宝石や金銀細工のものであればともかく、土製の耳飾りは美しくはないうえに大きくて重そうなので、本当にあんなものを耳に付けていたのかな~?本当に耳飾りだとすればあんなに大きくて重そうなものをどうやって耳に付けていたのだろう?と疑問に思っていたのです。
私は鬱陶しいし留め具で耳が痛くなって不快なのでイヤリングを付けないのですが(^o^)、縄文の大きな耳飾りには留め具も付いていませんし、どんな方法で付けたにしてもあの大きさや重さでは痛くて長い時間付けていることはできないのではないかと考えて学芸員さんに聞いてみました(^o^)。
どうやって耳に付けるのですか?
・・・・耳に穴をあけて付けます
でも、耳よりもずっと大きいではありませんか
・・・・初めは小さい穴をあけてだんだん大きくしていくのです
大きくすると言っても、元の耳より大きくはできないのでは?
・・・・耳がだんだん大きくなるんです
まさか???
・・・・首長族をご存知ですか?あれと同じです
でも土製の耳飾りは重いのでは?
・・・・ですから年を取って皮膚に弾力が無くなると耳がちぎれてしまうこともあります
絶句!
説明を聞いても半信半疑で、本当に納得はできないでいたのですが(^_-)、年末に見た「日本人のルーツを探る」という番組で実際にそれをしている人を見てやっと信じる気になりました(^o^)。
その番組に登場したピアス専門店(?)の男性が、耳そのものよりずっと大きな赤い丸いものを耳の辺りに付けていて、縄文の耳飾りをつけてみるためにその赤いものを外した時、耳たぶが太い長い輪ゴムのように垂れ下がったのです。
本当に耳に穴を開けて付けていたのですね。そして本当に耳ってあんな風に伸びるのですね。びっくりぽん!の三乗でしたが、実際に見たのでは信じないわけにはいきません(^o^)。
土製の耳飾り
ね、重そうでしょう?こんなものを両耳に付けたら耳が痛くなりそうだし、重さで肩が凝ってしまいそうだと思いませんか(^o^)?