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山の隆起と世界の塩湖 チチカカ湖と諏訪湖31 

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2016.2.1 山の隆起と世界の塩湖 チチカカ湖と諏訪湖32 

 

15世紀には広大な王国を作りあげ、最盛期には80の民族と1600万人の人口をかかえていたというインカでは、16世紀初めにヨーロッパから持ち込まれた天然痘によって人口の60%から94%もの人が死んでしまったのだそうで、その後やって来たピサロたちスペイン人によってさらに多くの人が虐殺され、1533年には王・アタワルパも殺されてしまいました。


そして、生き残って抵抗を続けていたインカ人も、1546年頃のチフスや1558年のインフルエンザと天然痘の流行で壊滅的な打撃を受け、1572年に最後の皇帝トゥパック・アマルが捕らえられてクスコで処刑され、インカは滅亡してしまったのだそうです(T_T)

 

また、1770年にヨーロッパ人がやって来た頃にはオーストラリア大陸に30万人いたという先住民のアボリジニは、白人が持ち込んだ病原菌と虐殺によって1921年には80%が死に絶え、6万人になってしまっていたそうです。

 

オーストラリアでもやはり金が発見されて1850年頃からゴールドラッシュが起き、白人の入植者によって先住民は手当たり次第に殺されて土地を奪われ、生き残った先住民のアボリジニは、白人には無用だった北部や西部の過酷な砂漠地帯で生きるか、宣教師の伝道所の周辺や居留地で下層民として生きるかという状態に追いやられたのだそうです(T_T)

 

個々の歴史を「人類の歴史」として俯瞰してみれば、人間のしてきたことはどこでもみな同じで、縄文人も、インディアンも、インディオも、アボリジニも、先住民の辿らされた運命はみな同じだったようです(T_T)

 

朝鮮半島やアジア大陸に近かったため、紀元前2500年頃から弥生人が渡来し始めていた日本列島では、4世紀ごろから先住の縄文人を虐殺し土地を奪っていった弥生人(天津族)の武器は鉄の剣や槍だったのに対し、地理的にユーラシア大陸から遠いうえに大海原で隔てられていて、16世紀に長期の航海が可能になるまでは氷河期の陸続きだったころに移動して行った先住民だけが暮らしていたアメリカ大陸やオーストラリア大陸に、16世紀以降になってやって来たヨーロッパ人は、鉄製の武器や武具類だけではなく銃も持っていたのです。


イメージ 1
 

また日本では弥生人が結核菌を持ち込んで縄文人に大きな打撃を与えたのに対し、16世紀以降のヨーロッパ人は、天然痘・インフルエンザ・麻疹・腸チフス・チフス・水疱瘡・百日咳・結核・梅毒など多種多様の病原菌を持ち込んだのですから、免疫を持っていなかった新大陸の先住民の被った感染の被害や虐殺された数は日本とは比べようもない規模だったでしょう<(_ _)>

 

「銃さえ持っていれば先住民を手当たり次第に殺して土地でも金脈でもすべて手に入れることができ、彼等の抵抗から身を守ることもできた」その歴史が現在のアメリカの銃社会の根底にあるのではないでしょうか。

 

銃による虐殺や略奪を経験していない普通の日本人は、銃どころか自衛や攻撃のための武器など何も常備していませんが、アメリカでは「銃を持つのは権利だ」とされ、多くの普通の人が銃を所持しているうえ、白人の警官は黒人を簡単に射殺してしまうという文化や考え方の違いは、その歴史に根ざしているのかもしれません<(_ _)>

 

ピサロたち162人のスペイン人が67000人のインディオを虐殺してアタワルパを捕まえた時、スペイン人が銃や鉄製の武器を持ち、鉄兜や鉄鎧や鎖かたびらで武装していたのに対し、先住民のインディオたちが身に着けていたのは刺し子の鎧で、持っていた武器は石や青銅や木の棍棒だったのだそうです(T_T)

 
 

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